尾池和夫
本日、京都大学大学院に入学した修士课程2210名、専门职学位课程368名、博士(后期)课程915名の皆さん、入学おめでとうございます。ご来宾の沢田元総长、长尾前総长、名誉教授、ご列席の副学长、研究科长、学舎长、教育部长、研究所长とともに、皆さんの入学を心からお庆び申し上げます。
皆さんは学问の道をさらに究めるために、さまざまの学问分野へ、さらに一歩を踏み出す地点に立っておられます。それぞれの分野で、学习と研究を进め、世界の舞台で活跃される日が近いという地点に立って、未来を见つめておられることと思います。新たな飞跃のためにも、くれぐれも心身の健康に留意して、京都大学の豊かな知の蓄积を活かしながら、楽しく学问を続けてほしいと思います。京都大学は、皆さんが学习と研究を力一杯进めていけるように、大学の制度を整え、キャンパスの设备の整备に努めます。
京都大学は、基本理念の中に、「自由の学风」ということば、「多元的な课题の解决」ということば、そして「地球社会の调和ある共存」ということばを使っています。これらは、21世纪の世界の基本的な考え方に结びつくことばであると思います。
大学の役割の根本は、教育と研究と社会贡献です。京都大学は、世界的に卓越した知の创造と、卓越した知の継承と创造的精神の涵养につとめることを基本理念としています。知の创造が研究ということの基本であり、知の継承と创造的精神の涵养が教育の基本であります。そしてそれらの経験を活かして他大学との连携を进め、产学连携を进め、知の蓄积を世の中に役立つ形で活かしていくのが社会贡献であります。地球を思うこころを持っていて、科学技术に精通していて、それらをマネージメントに活かす人材を育てることも、これからの大学教育の重要な役割の一つです。
21世纪は知の世纪です。知の创造と発信、知の移転と流通こそ、世界の人类に贡献することであり、教育のグローバル化が进展する中で、大学の役割が知の创造と蓄积と社会への还元にあることを认识することが重要です。
知の创造は、私利私欲を持たない研究者によって力强く进められることが重要です。研究者の世界は竞争社会とよく言われます。しかし、竞争しても、スポーツのように胜ち负けをいう竞争ではありません。もちろん科学や技术の研究成果は、先に発表した人の成果とされますが、そこに至る竞争は世界の研究者が参加して行われ、情报が交换される中での、実に楽しい竞争であります。そして最初に成功した研究者には最大限の賛辞が送られ、多くの研究者によって追试が行われて、その成功が确认されます。追试の中からまた新しい発见があります。このような基本を认识していないと、ときに実験データの改窜が行われたりする悲剧が発生します。
人类がまだ见たことのない物を见つけたり、まだ谁も知らないことを知るというのは、たいへんに楽しいことで、小さい発见でもこころのおどる経験をします。しかし、科学の発见は、记述した论文が公开されることで成立します。优れた発见は重要な业绩ですから、先を争うことになりますが、発见に至る过程が再现性のある形で记述されていて、他の研究者の追试によって结果が认められることが重要です。
追试が行われるということは、他の科学者が発见の価値を认めている証拠です。研究者が自分で记者会见して、それをもとに新闻などが研究成果として绍介しても、世界の科学者によって追试が行われていなければ、専门家に価値が认められていないのです。追试が行われていない论文は、周知の事実であったり、追试に値しないものであるという判断が出ているのです。追试をしてもらえるように、いつも世界の研究者たちと交流して、自分の発见を注目してもらうよう心がけてほしいと思います。京都大学教育研究支援财団は、そのような大学院生のために海外へ出かける旅费を支援します。
再発見ということばもあります。有名な例は、メンデルの法則です。1866年のメンデルの論文「植物雑種に関する実験」で示された遺伝の原則が、コレンス (C.Correns)、チェルマク(E.Tshermak)、ド=フリース (H.de Vries)の3人によって再発見されたのは、1900年のことでした。最初メンデルが発表したときには誰もそれを認めませんでした。3人による再発見によって、メンデルの発見が初めて認められることになりました。ウェゲナーの大陸移動説も再発見の例として言えるかもしれません。
汉の时代に张衡という人がいました。地动仪という器械を発明しました。これは発见ではなく発明というべきことです。人类はさまざまな道具を作りました。自然法则を利用して机械を创り、素材を作り出しました。発明は富をもたらすことがあり、公开することの代偿として、独占的な権利を発明者に与えることが行われます。各国において、発明は特许による保护の対象とされます。しかし、発明の定义は明确ではなく、多くの国で、発明は判例と学説によって定义されます。日本では、発明は「自然法则を利用した技术的思想の创作のうち高度のもの」と法で定义されています。
ときには発见でありかつ発明であるという仕事もたくさんあります。この1年ほどの间に京都大学には多くの発见や発明がありましたが、中でも颈笔厂细胞研究センター长の山中伸弥さんの颈笔厂细胞の树立は、际だった成果でした。分化した细胞が4つの遗伝子で元に戻るというのは惊くべきことで、大発见であり、それを実験で示した方法は伟大なる発明です。
発见や発明は、それだけでは社会贡献になりません。発明や発见はそれを形のあるものにして、谁にでも利用できるものに仕上げ、他の人に伝えることが必要です。それは论文であったり、设计図であったり、さまざまの形をとりますが、いずれにしても再现性を持っていなければなりません。利用できる形に仕上げるのには、多くの人材が一丸となって协力して仕事を展开しなければなりません。
専门家の间の评価ではなく、研究の成果に関する世の中の分析や见方には、さまざまのものがあり、それらが报道されたときに、その意味をきちんと理解して、间违った影响を受けないことも大切です。自然科学や技术の论文を见る见方と、芸术や文学の论文には、また异なることもあるでしょう。
例えば、今年の1月末に、论文の生产费という记事がメディアに载ったことがあります。东京大学の论文1つあたりのコストが1845万円で、国立大学でコストが最大であるという表现です。言い换えて、论文の生产性が最低レベルにあると表现されます。この统计では、京都大学は、1592万円ですから、生产性が东京大学より高いということになりますが、谁一人そのような情报の価値を认める研究者はいないと思います。実际の数字をもとにしていたとしても、おもしろい见出しが付くように仕上げた记事に乗せられてはいけません。
さまざまの注意は必要ですが、细かいことにとらわれずに、皆さんには大いに学问を楽しんでほしいと思います。学习や研究は楽しいものです。実におもしろいというのが、学问を続けていくための大きな原动力です。その、おもしろいという気持ちをいつまでも忘れないように、またさらにおもしろくなるように研究の计画を进めていってほしいと思います。
そして、自分が研究してわかったことを、市民にわかりやすく伝える工夫をしてください。多くの人びとが何を知りたいかを把握した上で研究の计画を立てるということも、场合によっては大学院で研究する场合に意味を持っていることがあります。やがては学位を得て、国际社会に贡献する人材となるということを心がけていてほしいと思います。
大学の中を見せるために、京都大学はさまざまの工夫をし、施設設備を用意します。総合博物館もその一つです。総合博物館では、4月9日(水)から8月31 日(日)まで、2008年春季企画展「京の宇宙学-千年の伝統と京大が拓く探査の未来-」があります。1006年5月1日の深夜に、京の空に歴史上もっとも明るい星が輝きました。それが超新星SN1006です。『明月記』に「客星」と記録された星です。2006年に日本のX線衛星「すざく」で、直径50光年の巨大な火の玉に成長した超新星SN1006の姿をとらえることに、京都大学の研究グループが成功しました。企画展の期間中にぜひご覧いただきたいと思います。
最后に、先月の卒业式で申し上げたことですが、京都大学では、学部学生にも大学院の学生にも、すでに多くの支援策を用意して、学费の軽减や生活费の支援を実行しています。これらの情报をわかりやすく整理して提供しますので、上手に利用してください。支援はまだ决して十分とは思っていませんので、今后とも学生支援を充実する努力を継続的に重ねてまいります。とくに博士课程では、世界の将来を担う人材に、安心して研究に従事できるよう、多くの大学院生にさまざまの仕组みで给料を支给しています。しかし、もっとも大きな课题は、大学院を出て博士学位を授与された重要な人材を採用して、力を発挥してもらうための研究者のポストが少ないということです。若い研究者のポストを増やす方策を具体的に検讨するよう、京都大学の役员全员が最重点课题として取り组むよう决意しています。
ここに入学式を迎えた方々の中には、大きな能力を持っていて、まだそれを明确に自分で见つけていない人もきっと多いと思います。自分の才能を见つけることも、学问を志す人にとって大きな発见の一つです。もともと教育は、その人の持っている能力を最大限に引き出すものでなければなりません。皆さんにとって、京都大学がそのような场であってほしいと愿っています。京都大学の豊かな知财を活用しながら学习し研究して、皆さんが元気に活跃されるようにと愿って、私のお祝いのことばといたします。
大学院入学、まことにおめでとうございます。