尾池和夫
京都大学に採用された43名の方々に、研修の开讲式にあたって、ご挨拶申し上げます。就职のお祝いを申し上げると同时に、この京都大学という职场を仕事场に选んでくださったことに、こころからお礼を申し上げます。
京都大学は教育と研究と社会贡献を目的としています。そのような大学は日本にたくさんありますが、その中でも、とくに京都大学を选んでくださったのですから、そこには何か、それぞれの理由をお持ちだと思います。また、当然ながら皆さんの一人ひとりに、この京都大学に期待するものがあると思います。その期待に応えることができるのを、もちろん私は望んでいますが、しかし、実际に中に入ってみると、今まで外から见ていた京都大学とは、かなり违うと感じることもあろうかと思います。その违いはどのような形になって现れるかは分かりませんが、违うと思ったときには、远虑なく期待と违うということを先辈や同僚に话してみてください。そのままにしておくと、きっと后悔することになります。大いに期待と违う内容を话して、経験を积んだ先辈たちと议论し、改革する必要のある点はどんどん改革の提案をしながら自らの仕事场に変革を持ち込んでください。
京都大学は长い间、国家公务员の职场でありました。そのときのなごりは京都大学の中に、まだたくさん残っており、皆さんの先辈たちの身体に浸透しています。2004年4月に京都大学は法人化して、职员は非公务员となったのですが、意识はそれに伴ってさっと変わったとは思いません。しかし、皆さんはその非公务员の职场に入ってきたのですから、先辈の职员の考え方についていけなくても构わないのです。
国家公务员の时代には、上からの命令でものごとが进み、それを忠実に守って仕事をするのが基本と考える方が主流派でした。例えば、必要な経费は国家から支给されて、それを间违いなく、目的に沿って使用するための経理が正确に行われました。法人化した京都大学では、経费を効率よく使用し、効果的に使うための新しい企画を常に考え、収入を増やすための努力を怠ってはいけません。そこで、求められる仕事の能力は、正确な経理事务だけではなく、财务を全体的に把握しながらの企画力であります。
一人ひとりの职员が、京都大学の全体のことを头に入れて、全体の现在を见渡しながら、自分の职务をその中に自ら位置づけて达成目标を立て、积极的な提案をして常に改善するというのが仕事の中心であります。
教育、研究、社会贡献の仕事にとって一番大切な资源は人材です。一人ひとりが持っている能力を最大限に発挥しながら、教育に従事して次の世代の人材を育て、あるいは社会人の再学习を支援します。また、最大限に能力を発挥して新しい知的资源を蓄积して世界の人类に贡献します。知财の蓄积を最大限活用して広く社会に贡献します。
このような活动は、学生の纳付金やさまざまの公的な资金、市民や公司からの寄附、あるいは产学官の连携などによって行われます。したがって、活动の内容は、市民にわかりやすく説明して理解してもらうことが必要です。広报机能は大学にとってたいへん重要な窓口です。大学の中の出来事を正确にわかりやすく、かつ迅速に広报する仕事を进展させていくことが必要です。
今年の京都大学の学部の卒業式では、2777名の学生に学士の学位を授与しました。京都大学の歴史は創立から111年になります。京都帝国大学の第1回の卒業式は、1900年(明治33年)7月14日で、土木工学の18名、機械工学の11名の計29名の卒业生でした。卒業式には文部大臣も列席するというような式典でした。この研修の中で京都大学の歴史を学んでいただきますが、いつどのようなエポックがあって大学が大きく変革したのかということと同時に、その背景にある考え方の変化にも関心をもって、京都大学の歴史を見てほしいと思います。
歴史を学んだ上で、京都大学の中を歩いて、自分の目で京都大学の现在をよく観察してほしいと思います。もちろんウェブサイトを见ながら、たくさんある建物の中で行われている教育、研究、社会贡献の内容を知って、その建物を见てほしいと思います。そして大学の歴史を思い浮かべてみてください。そこには古都京都の文化遗产も保存されています。京都の文化の中で育ってきた京都大学の姿を见てほしいと思います。
京都大学の创立に働いたのは西园寺公望(きんもち)ですが、西园寺公望は文部大臣时代に、教养ある市民の育成を重视し、「科学や英语や女子教育を重视せよ」といった人でもあります。その先祖に西园寺公経がいます。1397(応永4)年、足利义満が西园寺公経の山荘の跡に「北山殿」と呼ぶ别邸を造って隠栖しました。京都帝国大学设立のちょうど500年前です。后に义満の法号にちなんで「鹿苑寺」と号するようになったもので、それが今の金阁寺です。西园寺公経(きんつね)は公家であり歌人でした。その西园寺公経がこの近くに吉田泉殿を営みました。
京都大学には多くの研究所と研究センターがあります。宇治キャンパスをはじめ各地にあります。その研究所と研究センターの方々が、大学本部のある吉田地区で集まる场所とするために京都大学吉田泉殿を昨年开设しました。京都大学の清风荘、叁才学林、女性研究者支援センターなどとともに吉田泉殿も鞠小路近くに并んでいます。防灾研究所や生存圏研究所などの研究成果を活用して、耐震补强と长期维持のための工夫がなされています。
京都大学は研究科や学部とともに、附置研究所や研究センターをたくさん持つ大学です。化学研究所は、京都大学附置研究所の中で、最も古い歴史をもつ研究所で、1926年に「化学に関する特殊事项の学理および応用の研究」という大きな目的をもって、京都大学の理?医?工?农学部等に関连のある化学に関する総合研究所として设置されたものです。
京都の舎密局の跡が、夷川通河原町东入る指物町にあります。1870年に植村正直知事が仮设置を决め、3年后に落成して、日本で初めて、石鹸、ラムネ、ビールなどの製造を始めました。要するに工业化学でした。
木屋町二条下ルには、岛津创业记念资料馆があります。科学立国の理想に燃えて理化学器械製造の业を兴した岛津源蔵を偲び、创业の地に设立されています。日本の科学技术の黎明期に製造された理化学器械や医疗用X线装置など、科学技术の源流がうかがえる数多くの资料が展示されています。それには第叁高等学校の先生が产学连携で协力しました。
1939年、人文科学研究所も戦前にできました。太平洋戦争の时代に関係してできた、结核研究所、工学研究所、木材研究所、食粮科学研究所などは姿を変えて今の时代に引き継がれ、戦后、防灾研究所、基础物理学研究所などが生まれました。
最近では、生存基盘科学研究ユニット、こころの未来研究センター、世界トップレベル研究拠点「物质―细胞统合システム拠点」が発足しました。物质―细胞统合システム拠点の中には、山中伸弥教授をセンター长とする「iPS细胞研究センター」ができました。昨日、新しく野生动物研究センターと文化财総合研究センターが生まれました。このように絶え间なく発展し、成长していく京都大学が、皆さんの职场になりました。
京都大学で、もっとも重要なのは学生であります。大学は、高等教育を受ける権利を保障し、研究の成果を社会に还元し、人类の平和と福祉の向上に贡献するという责务を担います。その责务を果たすことが、大学の自治と学问の自由を保障されるための条件です。京都大学は、私立公立国立を问わず、多くの大学との协力のもとに、この责务を果たします。
大学は、社会に奉仕するものですが、その内容は、形をともなうものではありません。知の生产、知の蓄积、知の伝达というように、目に见えないものを、高等教育という场で社会に还元します。その结果が社会でどのように现れるかということも、大学はよく研究しながら、社会に贡献します。
大学の研究は、产业界から注文されて物を生产するようなものではありません。政府の要请に直接応じるものでもありません。大学の価値観は、ときとして社会の価値観と一致していないこともあるでしょう。そのずれも健全な国の姿であるという认识を持っていてほしいと思います。
皆さんは、失败をおそれない职员であってほしいと思います。失败することによって、人は反省し、そこから学んで成长します。反省无くして进歩はありません。失败をおそれていると仕事が消极的になり、新しいことを実行することが出来ません。また、仕事の成果や评価をせっかちに求めないでほしいと思います。长い歴史の中で、やがて姿を现し、结実するような仕事を心がけてほしいと思います。
いずれにしても、短い研修期间に、さまざまのことを知っていただいて、研修期间中にいだいた疑问を忘れることなく、さらに周りの人たちと议论し、また自学自习で解决しながら知识を深めていただきたいと思います。
こころとからだの健康に、くれぐれも気をつけて、仕事を楽しんでいただくよう愿って、开讲の挨拶といたします。
ありがとうございました。
(当日の挨拶をもとにまとめたものです。)