尾池 和夫
京都大学ボート部、医学部ボート部の新しい合宿所および艇库の竣工式にあたり、京都大学を代表して、お祝いを申し上げます。ボート部は1906年に创设され、昨年100周年を祝われました。
そのお祝いにぴったりと合わせるように、ボート部现役の皆さんの目覚ましい活跃がありました。全日本选手権では、舵つきペアで优胜されました。全日本选手権での优胜は全种目で初めてであり、京都大学からも、この目覚ましいご活跃に、创设したばかりの総长赏をさし上げてお祝いしました。同じ全日本选手権で舵なしペアも4位に入りました。また、朝日レガッタでは、対校エイトで3位、しかも学生では1位、东大戦では、ジュニアエイトで4连胜の优胜、全日本軽量级エイトで5位、これは学生では3位、関西选手権の対校エイトが优胜、ダブルスカルも优胜、フォア、1齿、奥2齿がそれぞれ3位というような、みごとな成绩であります。
お祝いにあたって歴史を振り返ってみました。オリンピックにボート競技が導入されたのは1900年でした。日本でのボート競技は、1883年に初の学生対抗レースが開かれ、1905年には早稲田大学と慶応義塾大学の早慶レガッタが始まったというように聞いています。そしてオリンピックに初参加したのは 1928年だったそうです。
このような日本のボート竞技の歴史の早い段阶から、京都大学ボート部が登场し活跃してきたということが、京都大学にとってたいへん夸りとすべきことであると思います。
1897(明治30)年、京都帝国大学が創立され、東京帝国大学から多くの教授が赴任してきた中に競漕の経験者がたくさんいて、学生とともに、三保ヶ崎近くの第三高等学校の艇庫を借りてボートを漕ぎました。1900年のレースでは、木下 廣次初代総長が舵手として出場したと歴史にあります。
1906年には京都大学の運動会規則の改正で、春に水上運動大会、秋に陸上運動大会を開催することが決定されという記録があります。この年4月に大津三保ヶ崎で第 1回水上大会の競漕が開催されました。このとき3里(約12キロ)の山道を歩いて琵琶湖に行き、帰りは琵琶湖疏水の乗合船で、デカンショ節を歌いながら1 時間半で下ったということです。今ちょうどその疏水を、三井寺から花筏が京都に向かって流れています。
新しい艇库と合宿所は、ボート部百周年记念事业の一环として、诸先辈の寄付を中心にして集めた浄财により建设されました。目的の一つには、医学部ボート部と京都大学ボート部が合同で合宿し、练习できるような环境作りにあると闻きました。多くの医学部の运动部は、京都大学の运动部と独立に活动をしていますが、同じ京大生として切磋託磨し、京都大学の学生として共通の自覚をもって、技术の向上等に取り组むことは极めて重要であるという认识だとうかがいました。
艇庫 新しい艇庫は、スカル、ダブルスカルなど、1人あるいは2人で漕ぐ小艇を収納するために建設されました。ボートの花形は舵付きエイトで、8人で漕ぐものですが、カリキュラムの関係上、8名が揃って何時も漕ぐことが難しいのです。また、ボートの基礎技術の向上のためにも、スカルなどの小艇で漕ぐことが重要視されるようになっています。このような努力の成果が、昨年の全日本選手権の舵付きペアの優勝につながったと思います。
现在、1936(昭和11)年に建设された艇库があり、これはエイトやフォア等の大きな艇を収纳するように设计されていて、小艇用の艇库を持つのがボート部の大きな愿いでした。今回の新艇库と合宿所の建设は、ボート部のこれからの百年のために、きわめて重要な一歩となることでしょう。
新しい艇库と合宿所ができて、当面の目标は、全日本学生选手権(インカレ)の舵付きエイトで优胜することにあると闻きました。近い将来、学生の顶点に立ったというご报告を确信して、皆さまのご検讨を祈り、新艇库と合宿所竣工の、私のお祝いの言叶といたします。
本日は、诚におめでとうございます。
