尾池 和夫

本日、勤続30年の55名の方々、および勤続20年の36名の方々が表彰を受けられました。まことにおめでとうございます。ご列席の理事、部局长、教职员の皆さんとともに、长期间のご贡献に感谢しつつ、お祝いを申し上げます。
昨日の6月18日において、それぞれ30年、20年に达する方を表彰することになっているのですが、京都大学は109年目の创立记念日を迎えました。创立记念日に京都大学の歴史を振り返ってみるというのが私の毎年の习惯になりました。皆さん方もご自分の歴史に重ねながら职场の歴史を思っておられることと思います。
1976年(昭和51年)には、2月に理学部の学生が、学費値上げ問題をめぐって事務室を封鎖、溝畑 茂学部長と団交を行ったとあります。教官による説得に応じて退去したそうです。3月には西島 安則学生部長が教養部構内で集会中の学生に対し、バリケード解除を要求したとか、学生の一団が総長室に乱入して、岡本総長を本部前に連れだし約4時間にわたり話し合いを要求したというような出来事が記録されています。
私は地震学が専门ですが、この年、7月28日に中国の唐山で大地震が起こりました。死者24万以上という20世纪最大の震灾になりました。中国では、1月に周恩来首相が亡くなり、9月に毛沢东主席が亡くなるという年でもあり、激动の时期でした。
「およげ!たいやきくん」、「なごり雪」、「あの日にかえりたい」というような歌でこの年を覚えている方もいるかと思います。
1986年(昭和61年)には、学生部に入试课が设置されました。6月18日には、国立大学协会総会において、「国立大学の受験机会の复数化についての昭和62年度実施要项」ならびに「実施细目」の一部修正承认ということがあり、これにより1987年度の受験机会复数化の実施が决定しました。
4月1日には、男女雇用机会均等法が施行されました。土井たか子さんが日本社会党委员长に就任したのも日本では初の女性党首と话题になりました。雑誌は『ターザン』とか『メンズノンノ』が创刊されました。顿滨惭贰(小学馆)も创刊されましたが、これにはもうすぐ私が登场するのです。
11月15日、伊豆大岛の叁原山が209年ぶりに喷火しました。ハレー彗星が76年ぶりに大接近しました。レコード大赏は、中森明菜「顿贰厂滨搁贰」、テレサ?テン「时の流れに身をまかせ」が大ヒットというような年でした。
さて、これらの記録を見ながら、今を比べてみますと、1999年、国会で、男女共同参画社会基本法、これは The Basic Law for a Gender-Equal Society と英訳されていますが、衆参両院とも全会一致で可決成立し、京都大学では、「京都大学における男女共同参画」として、基本理念と、「男女共同参画の視点に立った教育?研究および就業の確立」など、7項目の基本方針とが、今年ようやく、3月22日の部局長会議で了承されました。
また、入学试験では后期日程の共通问题を廃止して、今、新しい入试のあり方を模索しています。
学生の纳付金はずいぶん高くなりましたが、それでも毎年値上げの声が出ては攻防をくり返しています。教育费への国民の负担が大変大きく、これが少子化の倾向を加速しているという大きな问题があります。
このような、大学をめぐるさまざまの问题を考え、それらにも大いに発言していただきながら、お仕事にはげんで顶きたく存じます。
本日は、たくさんの方々にご出席いただき、ありがとうございました。今后とも、皆さま方が、お元気で京都大学の学生たちのために、いい仕事を続けて下さることを愿って、私の祝辞といたします。
本日は永年勤続表彰、まことにおめでとうございます。
ありがとうございました。
永年勤続表彰祝賀会 挨拶
本日は、91名の方が永年勤続表彰を受けられました。长期间のご贡献への感谢であり、お元気でさらなるご活跃を愿ってのお祝いです。本当に、おめでとうございます。
「本学における事务改革に係る事务を円滑に処理するため、総务部に事务改革推进室を置く」という「京都大学総务部事务改革推进室要项」を総长裁定で制定したのは、2004年11月11日でした。2005年秋には、本部の事务组织を、教育研究推进本部と経営企画本部の2つにして、本部栋の入り口に看板を掲げました。その后、学生や教职员等へのサービスと业务効率の向上を図るためのセンターが今年4月1日に设置されました。皆さま方のご协力によって、これらが実现できました。
京都大学には学生が22,452名、常勤の教員が2,907名、常勤の役員や職員が2,289名、数千人の非常勤の教職員、2,560名の外国人研究者、 1,240名の外国人留学生、年間延べ36万5千人の入院患者、延べ57万2千人の外来患者、延べ10万人近い総合博物館や水族館、図書館などの外からの入場者、その他にもさまざまの来訪者があります。
20年あるいは30年前、学生数は15,000人くらい、教员は2,500名くらいでした。职员の数はどんどん减ってきましたが、皆さん方のご努力で、大学の仕事を支えてくださっています。

1897年、京都大学の创立の时、学生数は47名でした。そしてその时の教员数は9名、事务官と技官が12名でした。教员1人あたりの学生数は、5.2名でした。今でも実质的にこの数字は同じだと思います。
私は、京都大学を运営する方针の中に、効率的な组织と运営システムを整え、情报技术を高度に利用し、教员の活発な活动を保つということ、职员の専门性を高め意识改革を促すこと、正确な情报が迅速に効果的に伝わるしくみを作って、意欲のある若い职员の挑戦を支援するということを含めています。
そして、常に京都大学のミッションを念头に置いて毎日の仕事をしていただきたいと愿っています。20年、あるいは30年前を思い出してみてください。ここへ来る直前に、若い职员の方々から、20年、30年后の京都大学は自分たちが担っているというつもりで、今、热心に勉强会を开いており、その成果を役员会に闻いてほしいという申し入れを顶き、私はたいへん感铭を受けました。皆さんも、仕事を始めた顷、きっとそのような意気込みでおられたことを思い出されると思います。
今日の表彰を受けられた皆さま方も、どうか、今后ともご自身の健康を大切にしながら、后辈の育成にも心がけていただき、専门性を高める努力を続けていただきたいと思います。そのご努力に応えるためにも、二つの本部の人事において、できるだけ学内からの昇格を実现していきたいと考えています。
今后とも皆さんがますますお元気で、学内外で一层ご活跃くださることを祈って、挨拶といたします。
永年勤続表彰おめでとうございます。