尾池 和夫
京都大学に新しく採用された14名の方々の职员研修にあたって、一言ご挨拶申し上げます。

京都大学のキャンパスは、吉田キャンパス、宇治キャンパス、桂キャンパス、その他、全国そして世界の各地にあります。その広さの合计は、2005年度で4900万平方メートル、例えば1万4700平方メートルの甲子园球场の広さで割り算すると、甲子园球场の约3342倍という広さということができます。
そのキャンパスの中にはさまざまの物があります。この吉田地区は昔、都から東山を越えて近江へ行く、志賀越道という荒神口から北東方向へ伸びている道に沿って広がるキャンパスです。その北東の端にある北部グラウンドの西北の角には、オリンピック?オークがあります。田島 直人選手がベルリンから持ち帰ったオークの苗を、京都大学の技術がみごとに育て上げたものです。
もちろん、皆さんは自ら选んでこの大学を职场にしようと决意された方々ですから、京都大学という场所をいろいろの角度から见てこられたと思います。私自身も长い间、京都大学の中にいて、この大学を见てきましたが、いまだに奥が深く、见ても见ても见饱きることのない巨大な大学であると思います。

大学には実にさまざまな教职员がいて、実にさまざまな仕事をしています。皆さんはその高等教育を背负って立つ职员として志愿し、高い倍率の中から选ばれた方々であります。职场で活跃するこれからの道を思い描いて、さまざまに梦を描いておられると思います。
今から8年くらい前、私は理学研究科长の仕事につきました。その顷には、京都大学のことを话す时に、よく今日のような挨拶では、京都大学の役割は、「研究と教育」であると表现しました。先端の研究を强力に进めながら、教育を通じてその成果を学生に伝えていくのだけれども、教员が悬命に研究を进めていると、学生たちはその姿を见て自然に成长していくというように话しました。そのことは今でももちろん间违っていないと思います。ただ、教员と言わずに、最近では、先辈の姿を见て后辈たちが育っていくという言い方をする场合が多くなりました。
京都大学副学长になっても、2001年顷から同じように言っていました。その后、国立大学の法人化が具体的になってきて、评価を意识するようになったということがあるのですが、京都大学の役割を言う时に、「教育と研究」というように顺を変えて话すようになりました。大学で一番の中心は何と言っても学生であり、学生がいなければ大学は成立しないという、きわめて単纯明快な原理に基づく言い方であります。

その次ですが、今年あたりから、もう一つ加えて表现するようになりました。京都大学の役割は、「教育と研究と医疗」です、という表现であります。国立大学法人京都大学が设置され、その法人が京都大学を设置するという形态に変わって、大学の财政を担当する部署は、それまでの経理部から财务部へと名称を変えました。支给された経费を使うという考え方で、その支出の経理をする部署から、自ら収入を得て、それを大学の运営に活かしていくという财务を扱うように変わったのです。それに従って、その大きな部分を占める大学病院の地域医疗への贡献を常に运営の中で意识しなければならないと考えたわけです。
大学病院の中では、患者さんたちが入院したり外来で诊疗を受けたりしています。そこでは医疗に当たる医师や看护士や理学疗法士など、さまざまな医疗専门职、医疗従事者がいます。また研修中の人も次の世代を担う学生もいます。学生の中には基础医学を志す人も、健康科学をテーマにする学生も、医疗専门职を志す人もいます。このように、ある一つの场所に焦点を当ててみても、京都大学の役割は総合的で幅広く展开されていくということがわかります。
京都大学の医学に関する分野の長い歴史の積み重ねの上に、今の基礎医学での輝かしい研究成果があり、目覚ましい先端医療の成果があり、地域の健康と医療に貢献する活動があるのです。その歴史を簡単に振り返って見ても、例えば、野口英世に医学博士の学位を授与したのはこの京都大学医学部であり、残念ながら亡くなって間に合いませんでしたが、野口博士をノーベル賞候補として推薦したのも、京都大学の教授たちであったというように、声を大にして話せることがあります。また、1937年に京都帝国大学医学部を卒業された日野原 重明先生のたくさんの本が書店には平積みされてベストセラーになっています。

これから学内で话题になることの一つに、汤川?朝永生诞100年の行事があります。2004年6月10日の第58回国连総会决议で、2005年は「国际物理年」とされています。2005年は、近代物理学の础となったアルバート?アインシュタインによる重要な科学的発见の100周年にあたることを意识し、
1.国连教育科学文化机関(ユネスコ)が2005年を「国际物理年」と宣言したことを歓迎する。
2.ユネスコに対し、开発途上国を含めた世界中の物理学会およびその他団体と协力し、「国际物理年」を祝う活动を组织するよう促す。
3.2005年を「国际物理年」と宣言する。
と宣言しました。
1905年は、アインシュタインの奇跡の年と呼ばれます。この年には、3月に光量子の论文、4月にブラウン运动の论文、5月にブラウン运动の2つ目の论文、6月に特殊相対论の论文、9月に、「物体の惯性はそのエネルギーに関係するか」が论文誌に掲载されています。そして、7月にチューリッヒ大学より博士の学位を取得しました。
量子论はプランクが量子仮説を発表した1900年12月に始まるとされていますが、アインシュタインの研究によって、中心的テーマとなりました。量子力学は人间の直感によってはわからない理论でしょうが、数式で表现すればわかる理论です。量子力学を利用して、多くのハイテク技术が进みました。
1922年11月、アインシュタインは日本に向かう船の上でノーベル物理学赏受赏の知らせを受けました。日本暦で大正十一年です。京都大学では时代の要求に応じて学生数が大きく伸びていた顷です。
『タイム』誌は、20世紀を代表する人物としてアインシュタインを選び、20世紀は、アインシュタインの世紀であると言われることになりました。一方で、アインシュタインは「ラッセル?アインシュタイン宣言」でも知られています。その宣言の署名者は、11名です。その中に湯川 秀樹博士もいます。その11名の署名者のうち、生存する最後だった、ロートブラット博士が亡くなったというニュースを、先週淡路島で実施していた京都大学全学教育シンポジウムの会場で受け取り、世代の交代を思ったと、シンポジウムの閉会の辞で述べました。
京都大学は、その基本理念の中には、もちろん、ラッセル?アインシュタイン宣言の精神である、世界人类の平和を愿う気持ちもこの中に込められています。

皆さんは、この研修を通じて京都大学の职员としての基础となる课题を学习され、それをもとに今までは一般的な话として意気込みを持っておられたことを、仕事して行こうという时の具体的な目标として描くことができるようになると思います。そして、京都大学の中のさまざまな分野に触れるたびに、その面白さを知って、その教育と研究と医疗の仕事を支援することの意义の深さを知ることになると思います。もちろん仕事をする场所では、多くの障害もあるでしょうし、悩みも出てくることでしょうが、それらは皆さんの仕事の目标が明确に定まっていれば、かならず乗り越えられるものであり、また、それらの障害を乗り越えてこそ、仕事が本物になっていくということを、身をもって体験して行くことと思います。
皆さんが、健康に十分気をつけて、京都大学の基本理念の精神を考えながら、大学の内外で、思い切りご活跃くださることを心から愿って、职员研修での私の挨拶といたします。
ありがとうございました。