東アジア研究型大学協会(AEARU)総会と理事会に出席して(報告) (2004年10月6日~9日)

尾池 和夫

 2004年10月6日から9日まで台湾に入倉理事と辻部長とともに出かけた。AEARU(Association of East Asian Research University)の第10回総会と第15回理事会が台湾の新竹市にある国立清华大学で開かれた。

 中正(Chiang Kai-Shek)国際航空に着いて、淡水河を渡り、まず台北の圓山大飯店に着いた。私にとって台北は久しぶりである。1895年、日清戦争の結果締結された下関条約で、台湾と澎湖島は日本に割譲されたという歴史を、1897年に創立された京都大学の歴史と重ねながら、思い起こした。

台北市远景
台北市远景
国立清华大学
国立清华大学
清华大学の学生さんと
清华大学の学生さんと

 着陆の前に台湾山脉の一部が云の间から见えた。山顶の平均高度は3000尘をこえ、台湾の最高峰のユー山(玉山)は标高3997尘である。山脉の东侧は太平洋に向かう断崖、西侧には平野が広がる。フィリピン海プレートとユーラシアプレートとの押し合いで出来た岛であり、大地震が内陆の活断层帯に起こるのは西日本と同じであるが、台湾岛では、そのプレート境界も陆地にある。

 日程の概要を先に述べると、台北で7日の朝からフォーラムが開催され、午後に故宮博物院を見学したのち、夜遅く移動して夜中に新竹市に着いた。8日には、新竹の国立清华大学でAEARUの総会と理事会が開かれ、その後、サイエンスパークを見学した。9日には早朝の列車で台北に移動し、国家地震工程中心を訪問した後、夜帰国した。

础贰础搁鲍総会
础贰础搁鲍総会

 以下は私の记録であるが、础贰础搁鲍の会议の内容は、いずれ议事録が出るので、それ以外のことを简単に书いておく。

 台北のフォーラムでは、教育庁の高官や国家科学委員会委員長のM.K.Wuさんからの報告があった。台湾を緑のシリコン?アイランドへと発展させるという方針があり、2002年に設定された発展6年計画「チャレンジ2008」では、研究開発の支出をGDPの3%まで増やすという。国家プロジェクトの第1に災害軽減計画をあげ、それに年間6億台湾ドルを投入するというのを聞いて、たいへん感心した。第2が通信で20億ドルである。また、今回のゲストであるCESAER(Conference of European Schools for Advanced Engineering Education and Research)の事務局長、Jan Graafmansさんが、CESAERの考え方を紹介した。両者に共通して、大学の改革は自治を基本にすることが重要だと、明確に指摘していることが強く印象に残った。しかも、後者ではとくに機関の長の自治ではなく、機関を構成する小単位の自治を大切にするという考えが明確に示されていた。

 台湾には大学が150以上あり、教育に関しては、それらを統合することを政府は考えているようだ。研究では、台湾連合大学系統というシステムで先端研究が行われている。フォーラムでは、その例として、連合と2003年に設立された、Center for Nano Science and Technologyとが多くの研究機関と協力しながら、ナノテク研究計画を推進している状況の紹介があった。

 

広い敷地
広い敷地
池のある庭
池のある庭
学生寮
学生寮

 础贰础搁鲍の総会では新しい学长が绍介された。私は引き続き理事会に出た后、昼食会场に行った。学内の食堂で、自然、有机、健康、美味というスローガンの食堂である。その后、清华大学の中を见学した。脳科学研究中心では、ハエの脳の神経ネットワークを、非常に精度の高い3次元映像で见ることができた。

 国立清华大学の徐遐生学長に歴史を聞いた。この大学は、北京の清華大学と長い歴史を共有するが、1956年に新竹に新しく設置されたという。ノーベル物理学賞2名と化学賞1名の受賞者を輩出した。現在、学部生4700名、2600名の修士課程、1200名の博士課程の学生がいる。そのうち女性が3分の1だそうだ。また、20棟の宿舎に 5000人の学生が住んでいて、同じく構内にいる多くの教職員と生活面でも楽しくすごすという。歓送会でも課外活動の学生たちが、音楽や踊りを披露してくれた。

清华大学长と
清华大学长と
清华大学の构内のバイク置き场
清华大学の构内のバイク置き场
大学のパトカー
大学のパトカー

 台湾での研究活動は1936年の天然ガス研究所の活動から始まると言われる。今、新竹市のサイエンスパークは世界的に有名である。2003年末までに、 11億2千万米ドルが出資され、370社に及ぶハイテク企業が集まっている。建設中の台湾高速鉄道(新幹線)ができると台北から19分で着くようになる。日本の「のぞみ」を基礎として作った車両がすでにいくつか到着しているという。新竹サイエンスパークは中正国際空港からも近い。中央、清華、陽明、交通の四大学連合と、工業技術研究院などの連携で発展してきた。工業技術研究院は1973年に財団法人として設立され、6200名の職員が台湾の技術の発展を支えている。研究者の50パーセントは修士、9パーセントは博士だという。開発した技術の展示室も見学した。15万平方メートルの床面積のオープンラボを持っている。

サイエンスパークの景色
サイエンスパークの景色
工业技术院にて
工业技术院にて

 1999年の集集大地震は、この新竹からは远かったが、それでもハイテク产业に深刻な影响を与えた。建物の被害は少なかったものの、停电による操业停止で大损害が出て、全世界のハイテク产业にも影响した。地震は台湾时刻の9月21日午前1时47分、サイエンスパークでは、特别に早く、9月27日に电力が全面復旧した。一般には电力の回復が遅く、そのため通电火灾が少なくてよかったとも言われる。

 台湾鉄道には海线と山线とがあり、9日の朝は海线の电车に乗って、1时间20分ほどで台北に着いた。国家地震工程中心を访问した。休日の土曜であるにもかかわらず、多くの方たちと会った。1999年の地震のことと、その后の復兴の様子を短时间であったが、要领よく、くわしい説明をいただいた。また、地震以外の自然灾害の軽减计画についても简単な绍介があった。台湾では1999年の大地震のかなり前から强震计の観测网が整备されていて大地震の强震动をとらえた。日本では、1965年の日本学术会议の勧告にもかかわらず神戸の地震の后で整备されたので、それに比べて私は台湾の仕事を评価している。

 

 

国家地震工程研究中心の讨议
国家地震工程研究中心の讨议
国家地震工程研究中心の実験室
国家地震工程研究中心の実験室
研究者の皆さんと
研究者の皆さんと

 台湾では山地が全岛面积の半分を占め、可耕地は全体の3割である。気候は北部は亜热帯、南部は热帯で、年3回から4回の台风来袭があり、大量の水を供给するが、洪水や土砂灾害などの被害も多い。

 台北101という超高层ビルが、世界高层ビル协会により10月8日に建造物の世界最高に认定された。高さは508メートルである。年内に工事が完了する予定だ。集集大地震のときにはすでに设计が终わっていたが、きちんと再検讨して地震対策と强风対策がなされている。2002年にマグニチュード6.8の地震があり、建设工事中だったこの超高层ビルでは5名の死者があったという。

 多くの方々のお世话になって3泊4日の台湾の旅を终えた。ここに述べた以外に密度の高い情报交换があり、たくさんの资料も得た。フィリピン海プレートが沉み込む境界に面している西日本、冲縄、台湾、フィリピン诸岛の交流と情报交换は、変动帯の文化を育んできた地域であるという共通性を持つだけでなく、台风や地震や津波の情报を共有して、灾害の軽减に贡献するという面で、特に重要な一面を持っている。今回の访问が多少なりとも学术交流が进むきっかけとなれば幸いである。

 なお、来年、2005年5月12日から15日の予定で、京都で第16回础贰础搁鲍理事会が开催される予定である。