尾池 和夫
1949年に湯川 秀樹先生がノーベル物理学賞を受賞されたとき建設を提唱され、そして、1952年に共同利用研究所である京都大学基礎物理学研究所(湯川記念館)ができました。これが全国共同利用の概念の誕生でありました。
东京外国语大学では、人文科学?社会科学系初の共同利用研究所である「アジア?アフリカ言语文化研究所」があります。
また、长崎大学热帯医学研究所は、1942年に东亜风土病研究所として开设され、1989年に医学系として初の共同利用研究所になりました。
その共同利用発祥の地である京都盆地のど真ん中に全国から集まって来られて、今日の第44回共同利用研究所长恳谈会が开催されます。
大学共同利用机関、大学付置全国共同利用研究所、研究センターは、个别の大学では困难な研究や新领域を开拓する研究を、全国の大学研究者コミュニティとともに行うものとされてきました。最近の恳谈会の议题を拝见すると、毎年、共同利用研究所のあり方について、恳谈会のありかたについて、法人化后のありかたについて、共同利用のありかたについて、というように続いており、みなさん方が、この重要な机能を守ろうとして、文部科学省ともども、悩みながら知恵を绞ってこられた状况がよくわかります。
申すまでもなく、共同利用研究机関、研究所、センターの机能は、我が国が目标とする学术研究の高い水準を保ち、研究活动で最も重要である创造性を确保するのに不可欠であります。
この重要な机能を维持し、発展させるために、今日の恳谈会での议论が大変重要な机会となることと存じます。
法人化にともない、何と言っても、财源措置のあり方が重要です。とくに运営费交付金が重要です。ほとんどの全国共同利用の施设では、目的に応じたプロジェクト研究の比重が大きく、职员の数など外形标準的経费だけでは、全国连携?共同利用が効果的に推进できないことから、全国共同研究を推进するための财政基盘が形成されていなければなりません。また、大型设备费や施设费补助金が适切に措置されていかなければなりません。
京都大学では、このような危机意识を持ちながら、共同利用研究所の机能を最大限に発挥できる体制の维持をはかる所存であります。
さらに大切なことは、今后の日本の研究と教育の発展であります。伝统を大切にして基础研究を守ることは、文化国家として当然の责务ですが、一方では、新しい分野が効率よく立ち上がるためのシステムが必要であります。
例えば、京都大学では、付置センターから付置研究所へ変わった东南アジア研究所を全国共同利用にしてほしいという要望を全国からいただいており、また、初めて京都大学独自の判断で设置した新しい生存圏研究所を、全国共同利用のみならず国际共同利用研究所として発展させたいと考えています。このような新たな芽を、どのような仕组みで取り上げて、国家予算の支援を得るかということも必要と思います。
この恳谈会で、法人化后の共同利用研究所の発展のために、文部科学省とともに、所长さんたちが、いい知恵を出してくださることを期待して、私の挨拶といたします。
ありがとうございました。
(恳亲会乾杯の発声)
明后日15日は葵祭です。忙しい皆様にそれまではすすめられませんが、明日の朝でも时间があれば、近くを歩いてみてください。
京都の舎密局の跡が、夷川通河原町东入る指物町にあります。河原町から东へ行くと、京都市立铜驼美术工芸高等学校があるのですが、それが舎密局のあった场所です。植村正直知事が1870(明治3)年に仮设置を决め、叁年后には落成して、日本で初めての石鹸、ラムネ、ビールなどの製造を始めました。このように舎密局の仕事は、要するに工业化学でありました。
木屋町二条下ルには、島津創業記念資料館があります。科学立国の理想に燃えて理化学器械製造の業を興した島津源蔵を偲び、創業の地に設立されています。日本の科学技術の黎明期に製造された理化学器械や医療用X線装置など、科学技術の源流がうかがえる数多くの資料が展示されています。このX線が世界で最初のノーベル賞でした。その実用化の歴史があってこそ、100年ほどして、田中 耕一さんのノーベル賞があるのだと、私は思っています。研究とはそのように息の長いものです。
短期间の评価で、びくともしないような全国共同利用研究所であることを祈って、今后の発展を祈って、乾杯したいと思います。ご一绪に大きな声でお愿いします。
乾杯!