法科大学院開設式典 挨拶 (2004年4月10日)

尾池 和夫

 京都大学法学研究科に法曹养成専攻が开设されました。この専攻は、またの名を京都大学法科大学院と称します。京都大学を代表して、开设のお祝いを申し上げ、开设にいたるまでの中森院长はじめ関係者のみなさまに敬意を表します。

 この挨拶の準备のために、资料が欲しいと秘书室に申しましたら、新しい印刷物はないが、ウェブサイトがあるというので早速拝见しました。「自由で公正な社会の実现を担う创造力ある法曹の育成を目指して」という目标のある第1ページから见事に整备されたウェブサイトで、さすがに新しくできた法科大学院であると感心しました、総务省行政管理局の法令データ提供システムで、今朝ためしに见ましたら、3月20日までの7290法令が载っておりました。そういう时代であり、合众国宪法やマグナカルタでも、颁顿-搁翱惭で読める时代ですから当然かもしれませんが、やはり书类に囲まれる本部にいると、たいへん进んでいると感心するものであります。(もっとも、そのホームページを全部カラープリントしたものが、后から製本までして、事务方から届けられたのです。)

 法科から离れた分野に、私はいたものではありますが、法律を勉强する人が身近にいることもあって、决して无関心ではありません。しかし、この教育目标を理解するのがたいへんでした。パンフレットの説明を読んでいきますと、「21世纪を迎えたいま、わが国は、自由で公正な社会の构筑を目指して司法制度改革を进めています」とあります。そうすると、今までは自由で公正な社会がまだ构筑されていなかったという解釈も出来ます。一瞬なるほどと思いもし、また司法制度は问题の多い状态だったのかもしれないと思いもして、そこで、これは大変だと思いました。

 法曹ということばが频繁に出てきますが、実は私はきちんと理解していなかったのであります。耳から入る「ほうそう」だと、辞书に11个あり、ヨモギの生い茂った粗末な家などということばも、俳句の会などでは出てくることもあります。ワープロには5つ候补があります。汉字から引くと、辞书には、法律事务に従事する者で、とくに司法官や弁护士をいうとあります。司法官とは、裁判官のことで、古くは検事なども含めて言ったこともあると、书いてありました。しかし、法曹叁者とは、「裁判官」「検察官」「弁护士」をいうという説明もありますので、なかなかわからないのです。

 それでも、21世紀を迎えて、司法を活性化して、わが国の公共性の空間を支える柱とするという目標があるのは理解できます。すぐれた能力を有する数多くの法曹を養成することが不可欠なのであります。そこで、法科大学院では、大学における法学教育、司法試験、司法修習を有機的に連携させて教育するというわけです。ここまで理解した段階で、私は、田中 成明先生に国立大学法人京都大学の理事に就任していただくことを要請したのであります。
 このようなとき、はや入学试験になりました。试験の当日、私も総长室で待机しておりましたが、そこへ试験问题が届けられました。试験问题そのものはとても无理と思っていたのですが、ふと手にとって読んでみると、これが意外に面白いのであります。宅急便と邮便のちがいは何かとか、杀人とは何か、良心とは何か、毒杀とはどのような场合に思いつくものだろうかとか、次々といろいろなことを考えているうちに时间がたってしまったのです。

 私は、法科大学院は高等教育改革の一贯ととらえています。戦后の新制大学の発足のとき、大学院が研究者の养成を目的とする旧制のままであったのに対して、今回の専门职大学院の制度の导入となったと思っています。
 京都大学大学院法学研究科に附属法政実务交流センターができたのは1998年です。それから法科大学院协会设立準备会というような名をうかがったりしておりました。京都帝国大学法科大学の创立は1899年9月11日ですから、ちょうど100周年のお祝いの準备と同时に、今日の準备が着々と行われてきたのだろうと思います。
 募集のパンフレットには、「このような时代の転换期にあっても、京都大学大学院法学研究科?法学部は、わが国における法学?政治学の研究?教育の中心的拠点として果たしてきた役割を坚持しながら」とありました。
 法学研究科の歴史には、京都大学の自由な研究教育の伝统と、それを支える大学自治の确立に果たしてきた大きな役割が刻まれています。今后とも、学问の伝统を守り発展させてきた法学研究科と、本日、开设を祝う法科大学院とが、お互いの目的を坚持しながら共存し、お互いに作用を及ぼしながら発展するよう愿って、私の挨拶といたします。

 本日は、まことにおめでとうございます。ありがとうございました。