大学院入学式 式辞 (2004年4月7日)

尾池 和夫

 京都大学大学院に入学した修士课程2268名、専门职学位课程232名、博士后期课程1013名のみなさん、入学おめでとうございます。ご列席の元総长、名誉教授、副学长、研究科长、学舎长、また京都大学のすべての教职员とともに、心からお喜び申し上げます。

 大学院の修士课程では、これまでの学习课程での蓄积に合わせて、さらに基础的な知识を补うための授业を受け、研究のために必要な技术を身につける実习を行うことになります。博士后期课程では、讲义を受けることは少なく、研究计画遂行の仕事が中心となるでしょう。それらの成果として论文を书き、学术誌に投稿する、あるいは本にまとめるというような発表のための仕事が続くことでしょう。
 専门职学位课程では、高度の専门性を必要とする职业などに従事する人材を育てるために、理论と実务との桥渡しが重要な课题とされており、みなさんは新しい教育课程の中で学习を重ねて、国际的に活跃する人材として巣立っていくことになることでしょう。

 京都大学には约3000人の教员がいます。また、みなさんの周りには、多くの诸先辈の大学院生がいて、それぞれその専门の分野で先端の研究を行っています。ある场合には、讲义という形で、あるときには先生や先辈との议论を通じて、みなさんの研究や学习が进んでいくことになります。また、あるときには自らの注意深い観察によって、先辈からの知识や技术の伝达が行われ、あるときには、孤独な试行错误の连続によって、研究に必要な準备や解析が进み、また実务に必要な経験が蓄积していくことでしょう。

 研究テーマの设定の问题を考えてみたいと思います。20世纪には、「欧米のキャッチアップ」、つまり欧米に追随する仕方で、日本が科学や技术の発展をとげたことに対する批判がありました。しかし、自分が物事を始めるときに、真似から始められるというのは、见方によっては、人类の持つ才能の基本かもしれません。
 明治の改革でも、和魂洋才という言叶で表现される出来事がたくさんありました。また、もっと昔では、和魂汉才と言われ、日本では大陆からの文化や文明の伝达が见られました。中国でも同じような考え方がありました。私自身の分野では、中国の専门家が、1975年に世界で初めて大规模地震の予报を成功させたとき、中国での地震予报の方法论の説明に、専群结合、土用结合という标语がよく使われました。これは専门家と市民の知识を融合し、古来の知识と西洋の方法论を融合するという意味でした。
 西洋に学んで追いつこうという考えは、江戸时代から明治にかけての日本の自然科学の分野にも盛んに见られました。植物分类学や解剖学や、工学や理学の多くの分野にそのような考えがありました。

 2003年12月2日の京都新闻に、「解体新书」眠っていた、初版本の全5巻、京教大で発见、という记事が出ました。「解体新书」全5巻が、京都教育大付属図书馆で见つかり、公开されたという记事の内容に私も惊きました。奥付の表记などから、国内では20部前后しか残存しない初版本と见られるということでした。国立大学法人化に向けて蔵书を整理していて発见したそうですが、法人化は膨大な仕事を大学に持ち込んで研究の进展を妨げる出来事だと思っていた私は、こんな形で法人化が役に立つとは思ってもみませんでした。
 日本最初の本格的洋书翻訳书である「解体新书」は、本文4巻と図版(解体図)1巻からなります。1774(安永3)年に刊行されました。それ以来たくさんの兰学者が育ち、江戸时代后期には兰学の大きな流れがありました。杉田玄白たちが考えた用语である「软骨」「神経」「门脉」などが、今でも使われており、后に宇田川玄真や大槻玄沢たちが改订した「膵臓」などの用语も今でも使われています。

 江戸时代、宇田川家3代にわたる业绩は、西洋の科学を、広い分野にわたって日本に伝えるというものでありました。多数の翻訳や着书による普及の効果は明治时代になって具体的に现れたと言えます。近代日本の学问の発展を促すもとになりました。
 宇田川榕庵は、1822(文政5)年に、近代植物学の概要を绍介する「菩多尼訶(ぼたにか)経」を着しました。ボタニカ(叠辞迟补苍颈肠补)は、「植物学」という意味です。
 私の部屋にこの「菩多尼訶経」の複製があります。静岡県の書家で植物愛好家の福島 久幸さんが、写経の心で書写された貴重なものですが、琵琶湖博物館に一組、本学の理学研究科植物学教室と薬学研究科にも、それぞれ一組を寄贈していただきました。
 シーボルトは、来日して3年后に、江戸で宇田川榕庵と対面し、彼の语学力と科学知识の豊富さに惊いたといいます。别れるとき榕庵はシーボルトに日本の植物叶をたくさん赠り、シーボルトは植物学の原书と顕微镜一台を赠りました。早稲田大学図书馆所蔵贵重资料の「伝宇田川榕庵使用顕微镜」というのが、このとき赠られたものではないかと推定されています。
 宇田川榕庵は、さらに、1837年(天保8年)から没年1847年(弘化4年)にかけて、日本で初めての化学书である「舎密开宗(せいみかいそう)」(内篇18巻、外编3巻)を江戸で刊行しましたが、榕庵が訳した「细胞」「水素」「窒素」「酸素」などの訳语は、今もみなさんがそのまま使っているものであります。
 このようにして、学ぶということから近代の日本の学问が进んできました。みなさんの一人ひとりが、やはり同じように学ぶということから学问の道に入っていくことと思います。そして学ぶ中から、自分自身の取り组む道を见つけだしていくことと思います。テーマを设定したら、その分野で今までに得られている研究成果をすべて学んで、そこから未知の世界への入り口を见いだしていただきたいと思います。そして见つけだした道をまっしぐらに进んでください。

 职业としての研究者を志すとき、国が示している方针や、世界の动向を见极めているということも必要です。今、日本の国の科学技术基本计画の基本理念には、科学技术创造立国として目指すべき国の姿と総合戦略の理念というのがあります。科学技术を巡る情势の分析から、20世纪の総括として、科学技术の目覚ましい进歩をあげ、21世纪の展望として、科学技术は社会の持続的発展の牵引车、人类の未来を切り拓く力としています。そして、目指すべき国の姿を、「知の创造と活用により世界に贡献できる国」として描いています。具体的な施策として、例えば、ノーベル赏受赏者を50年で30人にというようなことも言われました。
 その中で、研究开発投资の効果を向上させるための重点的な资源配分、世界水準の优れた成果の出る仕组みの追求と、そのための基盘への投资の拡充、科学技术の成果の社会への还元の彻底、科学技术活动の国际化などが謳われ、国家的?社会的课题に対応した研究开発の重点化として、ライフサイエンス、情报通信、环境、ナノテクノロジー?材料があげられました。先见性と机动性をもって的确に対応という项目には、ナノテクノロジー、バイオインフォマティクス、システム生物学、ナノバイオロジーがあります。
地域における科学技术振兴のための环境整备に、知的クラスターの形成があり、京都市と京都大学の桂キャンパスなどを中心とする连携も进んでいます。
 科学技术基本计画を実行するに当たっての総合科学技术会议の使命には、资源配分の方针、国家的に重要なプロジェクトの推进、重要施策についての基本的指针の策定などがあります。
 このような政府の审议や方策の议论にも、みなさんは研究者として耳を倾け、とくに次の世代の研究を担う人材として、批判的な精神を持って分析し、自分の意见をしっかりと述べていくことが必要です。

 基本政策にある、安全?安心な社会の构筑は、研究者にとっても重要なテーマです。基本政策にあるとおり、目指すべき安全?安心な社会のイメージを明确にすることが必要です。また研究室での自分自身の実験や解析の场でも、安全をまず基本としなければなりません。国立大学の法人化は、このような安全対策に関して适用される法律も変わるという根本的な変革であり、先辈たちとともに研究の场の安全に细心の注意を払っていただきたいと思います。
 また、个人の意识が支える安全、リスクの极小化による安全、安全と自由のトレードオフというような重要なことが指摘されています。それらもよく読んでおくことをすすめます。
 自然灾害であっても、専门家の持つ知识や情报と、市民の持つ知识と情报とが、共有されていることが大事です。地震や洪水は规模の大きな灾害ももたらすことがありますが、その灾害の内容を市民が纳得できるかどうかが大切なポイントだと、私はある市民から言われて、なるほどと思ったことがあります。

 そして、市民に対する説明责任ということも考えてみたいと思います。
 科学の世界では真理を探究することを目标としますが、当然ながらデータを得るために道具を使います。その道具は、分野によって大変高额のものである场合があり、経済的に充分な力を持つ国でないと実现できないものがあります。しかも、その支出が国威発扬のためでなく、人类の福祉のためでなければなりません。
 例えば、阳子の崩壊を観测するためのスーパーカミオカンデは、2001年11月にセンサーが破损して20亿円ほどの损害となりました。このセンサーをさらに巨大化する构想があり、それには400亿円ほどが必要といわれています。また、ハワイの望远镜「すばる」の建设にも、400亿円ほどが必要でした。粒子を衝突させる実験を行う加速器では、东海村の计画で1900亿円です。ヨーロッパ合同原子核研究所の持っている加速器は2000亿円であります。
 これだけの経费の支出で得られる研究成果は、いったいどんなものなのか。科学者は税金を払っている人たちに、それを説明しなければならないのですが、この説明がものすごくむずかしいのが普通です。京都大学でも、社会に向かっていかに正确で详しい情报を発信するかを考え、実现していかなければならないのであります。みなさんの研究でも、どんな分野であっても、その内容をいつも市民に説明しながら遂行するという习惯を身につけていただきたいと思います。

 大学院で、みなさんは研究成果をあげるということを、当然の目标として想定するでしょうが、それとともに、自分の视野を広げ、人格を磨き、社会のいろいろな分野でのオピニオンリーダーとして活动ができる人材になることを心がけてほしいと思います。
 研究者を志すのとはちがって、高度専门职业人としての道を志す方々もおられますが、いずれにしても、大学院においては新しい课题を见つけて学习し、研究し、结论を得て発表するという経験を积むことになります。どんな课题であっても、勇気を持って失败をおそれず、思い切り挑戦することを忘れないでください。
 京都大学大学院でのみなさんの学习や研究の活动が、みなさん一人一人の人生の中で、大きな果実となり、その分野における歴史に残る成果につながることを祈って、また、みなさんが世界を舞台として活跃されることを祈って、私の式辞といたします。

 入学おめでとうございます。