尾池 和夫
医学部设立100周年记念で完成した芝兰会馆の竣工にあたって、京都大学を代表しまして、お世话になった皆様へのお礼を申し上げ、併せて、芝兰会、医学研究科、医学部はじめ事业のご関係の皆様のご努力に、敬意を表したいと思います。
今、45年ほど前の、友人との议论を思い出しています。哲学をやりたいという友人と、夜明けまで激论をしました。テーマは、丸がいいか四角がいいかという议论でした。何の形かというと、正月のお雑煮の饼の形であります。彼の家では、丸饼で、私の家では切り饼で雑煮を祝います。かつてギリシャでは、円形の剧场がというようなことを论じましたが、结论はありませんでした。もちろん、山内ホールか、稲盛ホールか、というように议论の続きをするわけではありません。
百周年を记念して计画された大事业ですが、まさに辉かしい医学部の歴史にふさわしい会馆が出来ました。
1897年(明治30年)、京都大国大学が设置されたとき、まず理工科大学が开设され、次いで1899年7月4日に法科大学と医科大学が开设されました。続いて12月には医科大学附属医院が设置されました。
京都帝国大学が出来たその顷、この芝兰会馆が挟んでいる滋贺越道が一本だけ、都から东山の低い尾根へ向かっていて、知恩寺だけがありました。静かな自然の中に大学が生まれました。
任天堂の創業は1889年(明治22年)でした。平安神宮近くの地で、花札の製造?販売を開始しました。医科大学の学生もきっとその花札を持っていたと思います。 古くからの伝統技法でミツマタから板紙を作り、色彩豊かな日本の季節感を描いた京都の生み出した文化がそこにあります。そして、1907年(明治40年)、日本で初めてトランプの製造を始めました。
医科大学から医学部の歴史で、中でも私の好きな記録は、野口英世への医学博士の学位授与です。東京で医学の始めたにもかかわらず、野口英世は学位論文を京都帝国大学に提出し、1911年(明治44年)に医学博士が授与されました。 そして、1915年の第1次世界大戦勃発がなければノーベル賞を受けたであろうと言われる野口英世でしたが、その野口をノーベル賞に推薦した推薦者の中にも、独立に京都帝国大学医科大学の3人の教授がいました。
1959年には、京都市に、ファインセラミックスの専门メーカーとして京都セラミツク株式会社が诞生しました。
その翌年、医学部の歴史で重要な出来事は、1960年、本庶 佑さん、中西 重忠さん、田中 紘一さんらの京都大学医学部入学であります。
ファインセラミックスは、今やあらゆるところで使われています。パソコン、携帯电话から、生产设备、化学プラント、通信、情报、新干线、もちろん医学や医疗の分野にも登场します。京都盆地が产んだ、世界に夸る先端产业であります。
このような京都の文化、京都の产业、京都の先端科学が、この会馆で合体して、また新しい予想もしないような世界を展开していく可能性を持ったわけです。今、私は、この会馆が、京都大学の情报を発信する重要な拠点となると期待に胸をふくらませています。みなさんのご协力にもう一度深く感谢して、私の挨拶といたします。