尾池 和夫
今日、卒业式を迎えられた、2,913名のみなさん、ご卒业おめでとうございます。先生方に、ご家族の方々に、あるいは友人に祝福されて卒业式を迎えたことと思います。参列していただいた井村前総长、名誉教授、副学长、学部长の先生方や教职员とともに、みなさんの门出を、心からお祝いしたいと思います。
今日限り社会に出て働く方々、あるいは进学して研究者の道を目指す方たち、さまざまな进路がみなさんの前にあることでしょう。いずれにしても、4年间あるいはそれ以上の年月を过ごしたこの京都大学が、明日からは、みなさんの母校になります。今日、大学の门を出たとき、少しだけ时间を作って、みなさんが学んだ大学を振り返って见てください。そのときの感慨が、いつまでも记忆に残ることと思います。
卒業した後にも、多くの試練が待っていることと思いますが、そのときには大学で学習したときの先生や先輩や友人との議論を思い出してください。きっとそこからまた新しい展開が得られることと思います。そのときのためには、同窓会に参加し、母校のことを思い出し、後進を暖かく見守る卒业生であっていただきたいと思います。みなさんが母校を訪れるときのために、この京都大学のキャンパスを、しっかりと維持していきたいと思います。
いうまでもなく、大学は知を蓄积し、発展させていく场所です。みなさんはその大学で得た知を社会で活用していくことになるでしょうが、知だけではその活动がうまくできないという场面に出会うこともあるでしょう。しかし、どんな场合であっても、知だけは忘れないということが大切です。人生には、ときとして予想も出来ない事态が発生したり、社会で激変が起ったりすることもあります。そのような场面に出会ったときにも、みなさんの京都大学での学习や、课外活动の経験が、その威力を発挥することになるはずです。
卒业式にあたり、私が、みなさんに申し上げたいことがあります。
第1は文化を大切にするということであります。
100年ほど前、京都帝国大学の初めての卒業式は、1900年(明治33年)7月14日に行われました。土木工学の18名、機械工学の11名、計29名の卒业生に対して、文部大臣も列席しておりました。その卒業証書授与式における木下 廣次総長の式辞では、「諸般の設備未だ其の半に達せず、学芸の教授に於て不便を感ぜしこと頗る多かりしに係わらず今日茲に第一回の卒业生を出すにいたりしものは実に教官諸君の辛苦経営創立の難業に処して殉々たる誘掖深く其のよろしきを得たるの結果に外ならず」と、労を謝しており、さらに、「本学諸般の経営は之を未来に待つべきもの多しと雖も本学が其の学生を教導するに於て要すべき主旨方針に関しては始めより一定して変することなし」と述べています。このように、大学の経営ということは、今話題になり始めたのではなく、第1回の卒業式から言われているのであります。
この4月から法律によって国立大学法人京都大学が设置され、その法人が京都大学を设置することになります。国家财政の危机に际して、大学がなんら関与しないということは、もちろんできません。むしろ大学の蓄えた知を活用して、その危机を乗り越えるために贡献することが必要であります。しかしながら、十分な议论のないまま、急激な変化を强制するような改革は、大学には驯染みません。国が栄えたとき、そこには必ず优れた大学があったと言われるように、大学はその国の文化を支える圣域であります。その圣域を区别しないような改革は、文化を支える大学をだめにしてしまうおそれがあります。
大学は文化を守る役割を持っています。ときの政治がそのことを忘れていても、京都大学は文化を守り伝える役割を果たします。そのためには経费が必要であり、人材を确保していなければなりません。みなさんには、母校を精神的にも、また财政的にも支援する社会人に育ってほしいと愿っています。
第2は、人に优しい人であるということです。
人の话を闻くということが大切です。今日ご列席の副学长である、东山先生の着书に、「われわれはしゃべりすぎたという反省はよくしますが、闻きすぎたという反省はほとんどしません。」という文が出てきます。これは、情报の発信者と受信者を比べたとき、情报を発信した方が情报をコントロールしているように、见えるかもしれませんが、実は受信する方こそ、情报を本当にコントロールしているのだという原理から来る文であります。人の话をよく闻いて、自分で判断して人に接することが大切です。このことは人に优しいという、他人を思いやることに通じると思います。
今、日本の社会では、リストラとか、削减とか、効率化というような用语が盛んに闻こえます。いずれも経営者の论理に用いられる用语です。それが日本の国の未来に役に立つように错覚してしまうほど、マスメディアでも盛んにこれらの用语が登场します。しかし、统计が示すように、先进国の中で、日本は公务员の少ない国であり、国民総生产に比べて教育费の支出が目立って少ない国であります。世界で最も早い时期に人口减少に向かう国と言われる日本では、新しい雇用の创出というような、労働者あるいは市民の侧の论理で语られる改革が、今もっとも重要であると思います。京都大学を卒业するみなさんも、どんな场所で、どんな仕事をするばあいにも、どうか、かならず市民の侧に立って物事を考え、市民の侧に立った仕事をする人であってほしいと思います。
人を大切にするということは、平和を爱するということにもつながり、また差别のない社会を作り上げるという考えにもつながります。
京都大学に、民受連と呼ばれる団体があります。その民受連を中心とする運動によって、日本にある在日外国人の卒业生に大学入学資格が認められました。この運動は、井村 元総長と学生の話し合いがきっかけとなったものであります。そして長尾前総長のときに、同和人権問題委員会の山崎委員長がとりまとめた報告がもとになって、ようやく広く受験資格が認められることになり、その制度のもとで、合格者を出すことができました。
ちなみに京都大学では、1946年(昭和21年)5月15日の入学宣誓式における鳥養 利三郎総長が、その式辞で、「本年初めて女子学徒を加えたのでありますが、私は女学生諸子の学力、人格に信頼し、何等差別的取扱、特別待遇を考慮しない考えであります。」と述べています。
第3は、法を守るということです。
この言叶には二つの意味があります。一つは、法を破らない、法律を最低限の规范として暮らすということですが、もう一つの意味は、优れた法が悪い法へ书き换えられないように、法そのものを守るということであります。
法律にはその国の、ときには大きな犠牲の积み重ねによって生まれた歴史があります。戦争の反省から生まれた日本国宪法や、その延长にある教育基本法のように、失われた内外の尊い市民の命と引き替えに生まれた法があります。その精神を护る人であってほしいと思います。
国际化という言叶がたびたび闻かれます。真の国际化は、异文化の交流によって相互に理解を深め、忍耐强く会话を続けていくことによって、时间をかけて得られるものであります。言叶の上では国际化と言いながら、现実の世界では、强大な力を持つ特定の国の论理で戦争が行われ、それに协力していくことが国际协力というように呼ばれる场合があります。地球上のどこかで常に杀戮が行われ、幼い命が失われている现実があります。京都大学で学んだみなさんが、真の国际化を志し、いつまでも真の平和を爱する人であってほしいと、私は切に愿うものであります。
また、教育基本法の第10条は、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に责任を负って行われるべきものである。教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な诸条件の整备确立を目标として行われなけらばならない。」とあります。この精神は、大学の自治を保証するものであり、ときの政権から教育の独立を保証するものです。このような歴史の重みを持つ法を改変しようとする动きには、注意深く目を开いていなければならないと思います。
その他にも、社会に出るみなさんに申し上げたいことは、いろいろありますが、要は、平和を大切にし、地球を大事にし、人を大切にする人であってほしいと思います。法を守り、社会に贡献し、人类の福祉に贡献する人であってほしいということです。また、科学に兴味を失わず、学问への志を持ち続け、自らの体と脳と心の健康に気を配りながら、これからの人生を大切に生きていってほしいと愿っています。
芸术に、文学に、人文科学に、社会科学に、自然科学に、人类の文化や文明のあらゆる分野の歴史に、これから新しい内容を加えていくのは、今日ここで京都大学の卒业式を迎えられたみなさんであります。みなさんが、そこに目を见张るようなすばらしい内容の歴史をたっぷりと书き加えてくださることを愿って、私の式辞といたします。
ご卒业、おめでとうございます。