京大の「実は!」痴辞濒.26 「京都大学の『基础医学记念讲堂?医学部资料馆』の実は!」

医学部构内にある、ひときわ目を引く淡いグリーンのレトロな建物。

広报叠も、前を通るたびに気になって気になって、何度か中をのぞいたことも???。

调べたところ、この建物は明治35年(1902年)に京都帝国大学の解剖学教室讲堂として竣工された医学部系统解剖讲义室(旧解剖学讲堂)であると判明。京都大学保存建物にも指定されている贵重な建物なんです。

老朽化により長い間使われないままだったこの建物が、このたび、「基礎医学記念講堂?医学部資料館」として生まれ変わった! との情報を聞きつけ、広報Bも早速行ってきましたよ!

「基础医学记念讲堂?医学部资料馆」ってどんなところ?

医学部系统解剖讲义室(旧解剖学讲堂)は、明治35年(1902年)に京都帝国大学の解剖学教室讲堂として竣工された木造平屋建て(寄栋造り桟瓦葺)の建筑物です。
以前は学生の讲义等にも使用されていましたが、老朽化のため近年は使用されないまま、外観だけが维持されていました。

この建物は、旧石油化学教室の设计などをはじめ、京大の建筑に多大な功绩を残した の设计によるもの。细部に趣のある建物であったことから、できる限り昔のままの意匠を忠実に復元しつつ、耐震を含めた改修をして、このたび资料馆として生まれ変わりました。
现在では、资料馆としてだけでなく、学生の讲义やさまざまな行事、公开讲座などにも使用しています。(※资料馆の见学は完全予约制です。详しくは から。)

基础医学记念讲堂?医学部资料馆を潜入レポート!

今回、館内を案内してくださったのは、萩原正敏 医学部資料館長(医学研究科教授)、小泉昭夫 同副館長(医学研究科教授)、そして医学研究科施設掛職員の菊本惠二さん 。医学研究科の歴史に詳しい先生方の説明付きでツアー開始です。

左から、小泉副馆长、萩原馆长、菊本さん

エントランス、基础医学记念讲堂(阶段教室)

エントランスを入ると、まず出迎えてくれるのが、第7代総長 荒木寅三郎先生の胸像と先生による「不失其正」の書です。

第7代総长の荒木寅叁郎先生の胸像

「不失其正」とは、「常に物事の真理と本质を见极めて真挚に正しい道を进むべきである」という戒めの言叶。この书は、长らく医学部长室に饰られていたそう。

歴代の文化勲章受章者、文化功労者选出者の绍介パネル。

馆内を进んですぐ左手にあるのが、広く开放的な基础医学记念讲堂(阶段教室)。
この阶段教室は、一般讲义室として再生し、当时の面影を残しつつも、最新の机器を完备して现代的な讲义机能をもたせました。
教室をぐるりと取り囲む形で大きな窓があり、とても明るく、当时もこの窓からの眺めは最高だったとか。
当時の雰囲気を感じられるこの教室は、卒业生だけでなく、公開講座等に参加した一般の方にもとても喜ばれるそうです。

创立当初のシャンデリアは既に撤去されなくなっていたため、人文科学研究所図书室にあったものを寄赠してもらったそう。( シャンデリアにまつわる「実は!」参照

手すりは、当时の部材を取り外して补修して再现。色もできるだけ当时に近い雰囲気を意识したそう。

大きな窓からは明るい光が差しこみ、教室全体が緑に包まれるよう。耐震工事により、今は窓に×枠がついてしまっていますが???。

医学部资料馆の展示品を一部ご绍介します

阶段教室のちょうど里侧(教室下の通路だったところ)にあたるところが、医学研究科の歴史资料を展示している医学部资料馆となっています。
その展示品の一部をご绍介します!

テーブル型心电図

大正15年に神戸の洋服商「柴田音吉氏」によって寄赠された、ケンブリッジ社製の心电図。パッと见ただけでは心电図とはわからないですね???

当时の心电図の使用説明书。现在の心电図とはまったく违う仕组みです。

タッチパネル

このタッチパネルに映し出されている古い写真は、翱叠の方から寄赠してもらったもの。
当时を懐かしむ翱叠の方も多いそうです。

母子像

日本での産婦人科黎明期に作られた新設の産婦人科病棟にシンボルとして飾られた貴重な母子像(芸術院会員 斉藤素厳 制作)。斉藤素厳氏といえば、実は、時計台記念館正面玄関上部に掲げられているブロンズのレリーフ「雲」も同氏作。こちらも京大を代表するシンボルの一つです。

阶段教室の里侧が展示スペースに。天井は医学部年表になっており、设置されているベンチで座りながら见られるつくり。建物の构造上、部分的に天井がへこんでいるところなども、讲堂ならではの风情です。

资料コーナーには、贵重な书物や歴代の先生方が残したノートなど、京大の医学の歴史を物语る资料がずらり。
现代のように、パソコンなどの便利なデジタルツールがなかった时代、教材を作る先生も、ノートをとる学生も大変だったことでしょう???。

解体新书(复製)

我が国医学史上最重要贵重书の一つ。解体新书が「初刷りか后刷りか?」を判断する上で手がかりとなるのが「出版元住所」。それが「室町二丁目」とあるものと「室町叁丁目」とあるもの、ともに揃っているのはここだけ!(原本は医学図书馆に収蔵)

野口英世学位论文(复製)

蛇毒の研究をしていた野口英世が、なぜ感染症研究の権威になったのか????この论文を読めば、感染症治疗に蛇毒を生かそうとしていた経纬などが読み取れるそう。(原本は附属図书馆に収蔵)

当时の学生ノート

とにかくきれい!そしてものすごく细かい!ドイツ语と日本语の両方で书かれています。当时はすべて手描きゆえ、医学生は絵もうまい人が多かったそう。

当时使われていた器具や薬品などが陈列する展示ケースもありました。现在ではあまり见られないものばかり。

「今では全く変わっているものもあれば、今もほとんどかたちが変わらないものもあるなあ」との小泉先生谈。

液体の薬は本物が入ってます!左から、薄膜液、接着液、被膜液。

现场指纹器。今ではデジタルになっているものも、当时はこんなアナログなつくりだったのですね???。

生体肝移植用の手术器具。现在では小型化されたものも多いですが、今でも変わらぬ形状で使われているものも。すべて1点モノのオーダーメイドのため、とても贵重なものだそうです。

山中伸弥教授と高桥和利讲师のディスカッションメモと资料。2005年に颈笔厂细胞の树立に成功した、まさにその瞬间の贵重な资料で、树立が确认され、次の実験段阶について记されています。やはり、こうしてきっちりと実験内容を残すことが大事なんですね!

この不思议なかたちの石は、何かの石碑かな????と思ったら、なんと実际に使われていた解剖台でした???。

开学以来、昭和56年まで使われていた大理石製の解剖台。病理解剖の第一例は、明治34年に病理学教室の初代教授の藤浪鑑先生の执刀で行われました。この解剖台で、藤浪先生自身はじめ、たくさんの病理学の诸先生方も実际に解剖をされたそうです。

京都大学原爆灾害総合研究调査班遭难记念碑(模型)。広岛への原子爆弾投下の后、诊疗、调査研究に赴いた调査班が、滞在先の大野陆军病院で枕崎台风による山津波に袭われ、医学部?理学部の教官?学生11名が多くの患者と共に犠牲となりました。その冥福を祈るために、昭和45年、现地に记念碑を建立し、毎年9月には慰霊祭を行っています。

当時の担当者に聞きました ! 改修にまつわる、こんな「実は!」なエピソード

床下からは、でるわでるわ???

旧解剖学讲堂は、长い间使われぬままであったこともあり、改修着工时には床下(阶段下の収纳スペース)からは予期せぬいろんなものが出てきたそうです。とにかく、医学部ならではのいろんなものが次々と出てきて、まずはそれらを片付けるところから???の波乱のスタートだったとか。
改修により、当初は物置小屋のように汚かったのが见违えるように綺丽になりました。

改修前の床下(阶段下の収纳スペース)はこんな状态???。

改修前の阶段里(现在の医学部资料馆)。こちらも完全に物置状态でした。

当时の讲堂床下図面

シャンデリアの奇跡!

阶段教室の电灯は、明治期はシャンデリアでしたが、その后の改修で蛍光灯になっていました。
改修するにあたり、当时の雰囲気を再现するため、何とかしてシャンデリアをつけたい!と再利用できるものを探していたところ???偶然のタイミングで人文科学研究所分馆(东アジア人文情报学研究センター)が改修工事中で、ちょうど破弃しようとしているシャンデリアがあるという情报をキャッチ。
「とりあえず捨てずにとっておいて!」とお愿いし、后日现物を见せてもらったところ???まさに、イメージもサイズもぴったり!数もちょうど叁つ!

偶然に偶然が重なり、「これはきっと何かの巡り合わせに违いない!」???と思わずにいられなかった兴奋エピソードも。

改修前の阶段教室。电灯は蛍光灯です。

现在の阶段教室。もとからここに备えつけられていたかのような一体感

イメージもサイズもぴったり!アンティークな雰囲気がとても素敌

机と椅子へのこだわり!

改修前の机と椅子。これは确かに狭い???

改修前、阶段教室には明治时代に作られた造り付けの机と椅子が设置されていました。昔の机は前后幅が狭く、今の学生の体格に合わない事情もあり、今回の改修を机会に作り直すことに。
そこで、まず既製品の固定机を当たってみたものの、なかなか空间の雰囲気に合うものがみつからない???。
昔の机には立派な木製の幕板が付いていて、これが階段教室の雰囲気を大きく決めていました。そこで、造り付けで幕板のある木製机を持つ階段教室はないかとあれこれ探していたところ、某大学に有名建築家が設計した昭和初期のもの(復元)があるという情報をキャッチ。早速見学させてもらうと、まさにイメージにぴったり! 1日がかりで寸法などを調べ上げ、写真を撮り、そのデータを設計に反映。それをもとに大工さんが手仕事で一つ一つ作り、完成したのが今の机と椅子なんだそう。このような徹底したこだわりがあってこそ、改修後の今でも当時の雰囲気が息づいているのですね!

外壁の色にまつわる、あわやのエピソード

改修前の外壁。たしかに、真っ白です???

改修着手当时、旧解剖学讲堂の外壁の色は、色でいうと「白」だったそう(写真)。
ところが、当时を知る先生方から「创立当初の色は、白ではなく、淡いグリーンだった!」との証言があり、早速検証开始。
古い写真は残っているものの、モノクロ写真しかなく、色まではわからない???。

何とかして、当时の色がわからないものか???。
外壁は繰り返しの塗り替えで、当時の色が残っている部分はほとんどなかったのですが、建物中をくまなく調べたところ、軒裏の板と板の間に塗り替えられず当時のまま残っていた「淡いグリーン」の部分を発見! その色を頼りに、何パターンかのサンプルを制作し、医学部長はじめ当時を知る先生方にジャッジをしてもらい「これだ!」と決まったのが今の色。
証言がなかったら、今顷は真っ白な建物になってたかもしれません???。

「基础医学记念讲堂?医学部资料馆」の「実は!」、いかがでしたか?

ぜひみなさんも、京大の医学の歴史に触れに足を运んでみてくださいね!

さらに今なら、総合博物馆でこんな企画展もやっています!

京都大学総合博物館企画展「医は意なり -命をまもる 知のあゆみ-」

医学を志す人たちに长く受け継がれている言叶、「医は意なり」。この言叶の中心には「医の使命はただ一つ、病気になった人を直すこと」という真挚な気持ちがあります。今回の医学史展では、现代につながる江戸时代以降の医の発展に尽くした先人たちについて、関西に重点をおきつつ绍介するほか、最先端医学についても绍介し、全体として「命をまもる知のあゆみ」を皆さんと一绪に学びます。

  • 開催日: 開催中~4月12日(日)(休館日:月曜日?火曜日)
  • 会場: 京都大学総合博物館(9:30~16:30(入館は16:00まで))

京都大学総合博物馆ホームページ

利用案内など、详しくはこちら

京都大学医学部 医学部资料馆

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