第26代総長 山極 壽一
本日、京都大学を卒業される2,876名の皆さん、誠におめでとうございます。ご来賓の井村裕夫 元総長、長尾真 元総長、名誉教授、列席の理事、副学長、学部長、部局長をはじめとする教職員一同とともに、皆さんのご卒業を心からお祝い申し上げます。あわせて、今日の卒業式を迎えるまでのご家族および関係者の皆様よりいただいた数々の厚いご支援に対し、心より御礼申し上げます。京都大学が1897年に創立され、1900年に第1回の卒業式を迎えて以来、119年にわたる京都大学の卒业生の数は皆さんを含めて202,725名になりました。
さて、皆さんは入学以来、どのような学生生活を送ってきたでしょうか。本日はぜひ、この数年间京都大学で过ごした日々のことを思い出してください。厳しい受験戦争を胜ち抜いて入学した皆さんは、京都大学にどんな期待や梦を抱いていたでしょうか。今日、卒业式を迎えるまでの数年间、それは叶えられたでしょうか。それとも、その梦は大きく変貌を遂げたのでしょうか。そして、皆さんがこれから歩んでいこうとされる道は、そのころの梦とどうつながっているのでしょうか。
私が京都大学で过ごした1970年代は、日本が大きく変わろうとしていた时代でした。入学した年には大阪で万国博覧会があり、世界の科学技术が竞い合って展示され、新しい文明や宇宙への梦が大きく花开きました。同时に日米安保条约の改定をめぐって学生运动が过激な政治闘争へと発展し、内ゲバやテロなど悲惨な事件が多発しました。生协の食堂でテレビを见ているとき、叁岛由纪夫の割腹自杀を告げるニュースが画面に流れ、私は大きなショックを受けたことを覚えています。新しい时代が始まる予感はまだありませんでしたが、ある时代が终わったことを确信させる事件でした。私はそのとき、日本に、そして大学に学ぶべきものは残っているのだろうか、という疑问を心に抱いたのです。
あの时代、新しい知识を得る源泉は、映画と本でした。私が高校生のころ、卒业という映画が封切られ、大ヒットしていました。アメリカの大学を卒业したばかりのベンが故郷で再会した幼驯染のエレン。その母亲との不伦とエレンとの恋の葛藤が、サイモンとガーファンクルの不思议なメロディーに乗って私たちの心に迫ってきます。ベンを拒否したエレンが别の男性と结婚式を挙げようとしているところに、ベンが飞び込んでいって、心を翻したエレンと駆け落ちをするシーンがエンディングなのですが、バスに飞び乗った二人を眺める老人たちの目が印象的です。世间の常识を破り、亲と决别して新しい道を歩みだした彼らを待っているのは、冷たい伝统と伦理の壁なのか、それとも新しいものを受け入れる暖かい社会なのか。それを问いかけている映画だったと思います。それはまさに、日本の大学を卒业する学生たちにも共通する问题でした。
当时の学生のほとんどが読んでいた柴田翔の「されどわれらが日々」という小説があります。东大生の主人公が古本屋で贬という作家の全集に出会い、それが奇妙にからみついてくるような印象にとらわれたことから物语は始まります。古本屋の常连だった私も、同じような感情を抱いたことがあります。それは、その本の内容を知る以前に、本が私の手元に来たがっている、作者が纺いだ物语の世界が私に何かを见せたがっているような気分なのです。そして、本を开くと见ず知らずの谁かが书き込んだ傍线やメモ书きが目に映り、思いがけずその本と亲しんだ読者とめぐり合う。「されどわれらが日々」の主人公も购入した贬全集に押してあった蔵书印から、付き合っている彼女や、政治运动をともにした仲间との関係を问い直し始めるのです。そのとき、真挚に心を吐露する方法は対话と、そして手纸でした。研究生活に进んだ仲间が主人公に语った言叶があります。「ぼくは、一つだけ自分に课して守ろうとしていたことがある。それは、どんなに多くの人が賛成することでも、どんなにうまく形が整っていても、ただ、自分で考えてみて、隅から隅まで纳得の行くこと以外は、何も决して信じまいということなんだ」。大学に入ってから、私は何度もこの言叶を反芻したことを覚えています。
柴田翔と同い年に歌人であり剧作家であった寺山修司がいます。「マッチ擦るつかのま海に雾ふかし身捨つるほどの祖国はありや」という歌に心を衝かれ、日本人としてのアイデンティティを改めて见つめなおした人々がそのころはたくさんおりました。私の学生时代、日本の风景は大きく変貌しました。あちこちでダム建设が始まって多くの村が水没し、住民たちは新しい土地へ移住を余仪なくされました。全国に高速道路やスーパー林道が建设されて山や森が分断され、造林政策によって広叶树林は杉や檜の単层森へと変わっていきました。都市には新しい文化が溢れ、次々に多様な価値観が流れ込み、生まれる时代でした。そんな时に、寺山は「书を捨てよ、町へ出よう」という本を书いて、若者たちに常识や伝统を疑い、日々の生活の里に隠されたさまざまな企みを见破ることを奨励しました。私も大学だけが学びの场ではなく、キャンパスの外にこれからの世界を色付けていく多様な兆候を読み取らねばならないと感じていました。
开学以来、京都大学は対话を根干とした自由の学风を伝统としています。私もその伝统をじゅうぶんに活かしながら、时代の风を感じ取ってきました。私が目を开かれたのは、学问分野の壁を越えて话し合う数々の自主ゼミや研究会でした。そのなかで私は、多くの异なる考え方に出会い、违った世界の解釈の仕方に耳を倾けました。そのころ手にした本の中で最も大きく心を揺さぶられたのは、伊谷纯一郎の「ゴリラとピグミーの森」でした。独立前夜のアフリカに単身乗り込み、野生のゴリラを追って密林の奥まで自分の足で入っていく。その过程で着者は今までに见たことも闻いたこともない体験を积み重ねていきます。そこで问われるのは、日本という小さな国の文化ではなく、ゴリラと共通の祖先から进化した人间という生命体の存在と由来でした。自分は人间でありながら、その由来についてまだ何も确かなことを理解していない。その事実は大きな衝撃を私に与えました。しかも、耻ずかしいことに、その本の着者が私の所属する理学部の教员であることに私は初めて気がついたのです。すぐに私は伊谷先生に会いにいき、アフリカの原野に人间の由来を求めて思いをはせるようになったのです。それが私の人生の大きな転机となりました。
皆さんが京都大学で过ごした数年间も、世界は大きく変貌しました。入学前后に东日本大震灾が起こり、放射能に汚染されて人间が居住できない地域が日本に出现しました。エネルギーに対する考え方と原発に支えられてきた豊かな暮らしについて、大きく见直しが求められるようになりました。环境汚染や地球温暖化による影响で、地球の利用できる资源が急速に劣化していることが明らかになり、人间の活动にさまざまな规制がかけられるようになりました。民族や宗教による対立が激化し、多くの难民が生み出されて、各国のこれまでの协力体制や连携にひずみが生じています。こういった社会や世界の急速な动きのなかで、皆さんは何を考え、どういった决意を新たにしてきたのでしょうか。
知识を得る方法も、现代は私たちの时代と大きく异なります。それは1970年の万博で予测されていたことですが、情报机器の発达により、いつでもどこでも、简単に既存の知识にアクセスできるようになりました。膨大な映像が情报机器を通じて无料で流され、もはや、本は知识を得る贵重な手段ではなくなりました。メールや携帯电话が主要な伝达の手段となり、手纸を书くことはめったになくなりました。しかし、対话だけはこころを伝え合い、议论を通じて新しい考えを生み出す手段として今も生き続けています。
今日卒业する皆さんも、これまでに京都大学を卒业した多くの先辈たちと同じように自由阔达な议论を味わってきたと思います。その议论と学友たちはこれからの皆さんの生きる世界においてきわめて贵重な财产になるでしょう。京都大学には创造の精神を尊ぶ伝统があります。まだ谁もやったことのない未知の境地を切り开くことこそが、京都大学の夸るべきチャレンジ精神です。今日卒业する皆さんのなかにもさまざまな突出する能力を身に着け、すでにそれを発挥して活跃している方が多いだろうと思います。京都大学で磨いた能力を示し、试す机会がこれからはきっと多くなることでしょう。しかし、忘れてはならないことは、自分と考えの违う人の意见をしっかりと闻くことです。しかも复数の人の意见を踏まえ、直面している课题に最终的に自分の判断を下して立ち向かうことが必要です。自分を支持してくる人の意见ばかりを闻いていれば、やがては裸の王様になって判断が钝ります。このとき、京都大学で培った「対话を根干とした自由の学风」がきっと役に立つはずです。
京都大学は「地球社会の調和ある共存」を達成すべき大きなテーマとして掲げてきました。現代はこの調和が崩れ、多様な考えを持つ人々の共存が危うくなっている時代です。皆さんもこれから世界のあちこちでこのテーマに抵触する事態に出会うことでしょう。そのとき、京都大学の自由な討論の精神を発揮して、果敢に課題に向き合ってほしいと思います。皆さんがこれから示すふるまいや行動は、京都大学のOB、OGとして世間の注目を浴び、皆さんの後に続く在校生たちの指針となるでしょう。これから皆さんの進む道は大きく分かれていきます。しかし、将来それは再び交差することがあるはずです。そのときに、京都大学の卒业生として誇れる出会いをしていただけることを私は切に願っています。
本日は诚におめでとうございます。