平成15年6月18日
本日ここに京都大学创立106周年の记念日を、元総长沢田敏男先生、名誉教授の诸先生、各部局长、および教职员の皆様とともにお祝いできますことは、私の喜びとするところであります。
本年も例年にしたがい永年勤続表彰として勤続20年の职员31名、勤続30年の职员54名の皆様方を表彰いたしますが、皆様方には教官と学生の双方の活动を支えてきていただき、まことにありがとうございます。皆様の长年のご苦労に対し心から感谢申し上げます。
さて前総长井村裕夫先生の手によって京都大学百周年をお祝いした后、新しい次の百年へ向けての出発のバトンタッチを受けて以来6年を経まして、私は本年末に退任いたします。その间、京都大学の新しい百年を目ざしての基础をどこまで筑くことができたか、まことに忸怩たるものがありますが、大学がいろんな面で変りつつあることは事実でありましょう。これは1つには今日の高等教育に対する社会からの批判に答えようとする先生方の努力によるものでありますが、もう1つは国立大学の法人化という问题によるものと考えられます。
国立大学法人法は今国会でまもなく可决され、10月1日に施行され、国立大学は全て来年4月1日に国立大学法人となる予定であります。これまでとの具体的な违いは、独立した主体としての自主的大学运営であり、また自己责任の明确化ということであります。授业料等を大学の自己収入とし、国からは大学运営上の不足分が运営费交付金という形で补填されるという形をとります。この国からの交付金は、当初は激変缓和ということで、これまでの大学の予算规模が変らないよう、その额が决められるわけですが、大学の自己収入への努力がこれまで以上に要请され、また大学の活动状况如何いかんでは交付金额が减らされてゆくこともありうるわけであります。したがってそういうことにならないよう、各大学は教育研究がより一层优れたものとなるよう自己の判断によって独自の工夫をして运営することが求められています。このような自己の责任による大学运営という観点から、教职员の身分は従来の国家公务员でなく、いわゆる非公务员型となり、また必要に応じて新しい职种の导入も可能となるなど、いろんな点で自由度?独自性が高まることになりました。教员は教育研究に専心して成果をあげることが求められていますし、事务职员等はそれぞれの职场においてその责务を十分に果たすことが必要であります。
国立大学はこれまでいわば护送船団方式であったため、十分な効率をあげず、また改革?革新の方向にチャレンジして来なかったと社会から非难され、竞争原理を导入するとともに、国民の税金でまかなわれているところから、大学に対して评価システムを导入し、社会に対する説明责任をもった透明性の高い大学运営が求められることになりました。そして大学は外部の意见を闻く必要があるということで、役员にも学外者を参画させ、経営协议会はその半数以上が外部の人でなければならないことになりました。
こういった国立大学の抜本的な改革に対しては、学问の自由が损なわれる、社会に直接役立たない学问分野や长期间にわたって地味な研究が必要な学问分野などを含む基础研究が疎かにされるといった声があちこちから出ております。しかしこういったことは、大学侧の工夫によって如何様にもなることであります。大学运営について外部の人の意见を闻かねばならないということに対して过度に心配をする人达もいますが、教育研究评议会の意见を聴いて学长が任命するこれらの外部の人达は大学の使命をよく理解し、その大学の健全な発展のために真剣に努力する责任感を持った人达であるはずであり、その意味で我々の强力な味方であり、助言者でもあるわけであります。
こういった国立大学法人法の内容については、既にいろんな所に书かれていますし、また今后この法律のもとに定められる政省令等とともに、その运用についての解説书が出されるでしょうから、よく勉强する必要があります。
ここで我々が特に注目しなければならないのは、そういったこととともに、日本の近代的な大学制度が出来てから百年経って、なぜこのような根本的な教育改革が行われざるを得なかったかということであります。それはまた、日本における理想の大学とは何かを改めて问うということでもあるでしょう。
それはまず何といっても、学生の教育が全く不十分であったということであります。今日、东大や京大を含んで日本の大学教育があまりにも荒廃してきていると感じ、日本の大学教育を见放して、子弟をアメリカの大学に留学させるという例が非常に増えているという事実があります。グローバル化する国际社会において役立ち、ほんとうに活跃できる人材を日本の大学では育成できないのではないかという危惧が深刻なのであります。今后この倾向はますます顕着になってゆくでしょうし、一方では18歳人口がさらに减ってゆくという状况において、良い大学环境と充実した教育を提供しない大学には优れた学生は集まってこなくなることは间违いありません。
大学の第一の使命は良い学生を集め、しっかりした教育を施し、社会に出て活跃できる人材を养成することであることは间违いありません。そのためにどうするかというとき、それは优れた教员?研究者を集め、立派な研究成果を出し、热心に教育をすることでありましょう。これまではこれが全く逆でありました。特に京都大学の场合は、大学の第一の目的は研究をし、良い研究成果をあげることであり、こうしておれば、良い学生が集まり、先生のあとを自然についてくるだろうということで、自由の名の下に学生をいわば放任していたといってもよいでしょう。自分は教室でしっかりと讲义をしていると先生方はおっしゃるでしょうが、アメリカやイギリスの大学では先生方がどんなに教育に手间をかけているかを调べてみれば、その差の大きさに惊かざるを得ません。
学生の教育とともに、学生が毎日を過すキャンパス環境の改善が、日本の、特に国立大学の大きな問題であります。教室が汚くて、その設備も全く不十分であることのほかに、学生同士が自由に語り合う場所がありません。学生のスポーツ施設もお粗末です。さらに学生の悩みを聞き相談にのるカウンセリングセンター、その他の学生対応の窓口も不十分であり、そこに必要な専門家もほとんどいず、その施設も良くありません。さらに高等学校とのリエゾンや多様な入学試験方式を検討し実行に移してゆく部門、卒业生の同窓会活動、一般社会への貢献活動についての世話部門の欠如など、数えあげればきりがありません。
私どもはこういったことについて少しずつ改善の努力をしておりますが、法人化されればより一层こういった方面を充実しなければなりません。最も大切なことは教职员すべてが学生の教育と生活に対してサービスを提供するのだというはっきりとした意识を持つことでありましょう。学生はそういったことを敏感に感じとります。大学が自分达のために気を配り、全力投球で支えてくれているのだということを感じれば、学生はそれに応えて自ずとよく勉强し、また充実した学生生活を送ることになるでしょう。そのような京都大学を実现したいものであります。
そういった学生対応を真剣に考え、なおかつ研究を活発に行う开放的な雰囲気の大学を作るためには、先生方が开放的である必要があるでしょう。学部?研究科の壁を感じさせず、先生方が自由に意见を闘わせ、兴味のあるテーマが出てくれば学内で自由にグループを形成して研究が出来るといったことを実现することでしょう。そこには大学院学生も积极的に参加させ、皆が対等に议论できねばなりません。そういったことを実现するためには、制度的なことよりもいろんな学部?研究科の先生方が日常的に集い、憩いこいをとりながら自由に话し合える环境が必要で、そのためにはファカルティクラブといったものをキャンパスの中心に作ることが先决でありましょう。
事务やその他の职员の方々も、そういった中にあって积极的にいろんな企画を提案し、また自分达の职场を仕事のしやすいものに変えてゆく努力をする必要があります。京都大学をよくするために努力することが、同时にそれぞれの职场の雰囲気を前向きに明るいものにするということになって欲しいものであります。
多くの教职员の方々は、来年4月に大学が法人化されると自分达はどうなるのだろうかと心配しておられるのではないかと思いますが、まずそういった心配はないと考えていただいてよいと存じます。それぞれの职场で今后より一层の工夫と努力を求められるのは当然でありますが、少なくとも来年4月の法人への移行に际して皆様方の就业条件が大きく変るということは考えられません。どうか安心して仕事をし、また法人化への準备をしていただきたいと存じます。
京都大学はいろんな意味で恵まれた大学であります。このような大学が法人化によってさらに理想的な大学を目指して努力すべきは当然のことでありましょう。学生にとって、教员の教育?研究にとって、そしてまた事务职やその他の职の方々にとって本当に良い大学、あるべき大学の姿を明らかにして、その目标に向かって努力すべき时であります。
私どもはこれまでの百年间の歴史の上に立って、新しい时代の理想の大学のための基础を作るのだという気持ちを持って今年も顽张ろうではありませんか。