平成14年5月29日 博士学位授与式式辞

平成14年5月29日

 この度京都大学博士の学位を得られた课程博士49名、论文博士27名の皆さん、まことにおめでとうございます。ご列席の各研究科长とともに心からお喜び致します。

 さて今日日本経済は低迷し、社会は不安定化し、将来がなかなか见通せない时代となっております。そして大公司も轩并に赤字决算であり、倒产する公司も多く、何を信用すれば良いかさえ分からない时代となってしまっております。物事に対する従来の価値観が成り立たず、価値観が混乱している时代といってよいでしょう。

 大学においても同じことが言えます。従来は大学は真理を探究する场であるということで、社会とは関係をもたずに别世界を形成していましたが、今日では大学は社会に贡献しなければならないと言われています。特に国立大学は国民の税金でまかなわれているから、大学で创造される知を社会に积极的に还元しなければならない、技术移転、产学协力をすべきであるといったことが叫ばれています。

 また知识を与えるという教育から、自発的に学ばせるという方向へ教育の考え方を転换すべきであるという声も大きく、いわゆる「ゆとり教育」路线はこういった考え方から出てきたものでありましょう。大学においても、教师の方からすれば抽象的な学问体系をじっくりと长时间かけて教え、学ぶ方からすれば难しい、砂をかむような讲义を忍耐强く闻いていた时代から、细切れにトピック的に问题を扱い、浅く広くいろんな话题をからませて面白く教え、学生の兴味を唤起するという方向への転换が起こりつつあります。长年その道一筋で学问をしてきた先生よりも、社会経験が豊かでいろんなことを知っている公司人が大学教师として受けているとか、タレント的な人が大学教师として活跃している理由の一つは、きっと教育というものに対する考え方のこのような転换があるからではないかと思われます。

 大学に竞争原理を导入するということも最近积极的に进められつつあります。以前はこのようなことは明示的に示されるということがありませんでしたので、多くの所でショックを与えているようであります。教师の教育研究活动の评価、学部や大学全体の运営に対する评価などが外部の第叁者组织によって行われ始めているほかに、教师の教室での讲义の良し悪しを学生が评価するということも行われるなど、以前にはなかったことがいろいろと行われ始め、大学人の间では大きな関心を呼んでおります。

 大学はこれまで学问を教える所であったわけですが、最近は社会に出て実际に役に立つ知识や技术、ノウハウを教えるべきであるという声が高まり、専门职大学院の设置なども真剣に検讨されています。そこでは研究をせず、また论文を书かないで、実际に役立つ知识を与え、また実地研修を重视するという全く実践的な教育を行うことが计画されています。

 以前は大学における教育には小中高等学校の教科书のようなものはなく、教师の専门とする学问をそれぞれに教え、そのためにも教师は研究をしなければならないとされていました。すなわち教育と研究は切り离せないという考え方でありました。ところが最近の学部教育は、一クラスの学生の数が多く、またそのレベルも低下して来ているので、教育技术をマスターした教育のプロが当らねばならないということになって来つつあります。すなわち教育と研究の分离が必要であるという考え方であります。そうでなければ教育効果があがらないし、学生からの教师の评価は非常に悪いものとなるというわけです。あげくの果ては大学教育の质をチェックする品质保証机関が设立され、あちこちの大学、学部のカリキュラムが评価され始めております。

 このような一连の现象をみると、我々大学人は従来の大学についてのイメージを放弃し、価値観を180度転换することが必要となるようにも思われます。こういった中で京都大学の教育研究がどうあるべきかはなかなか难しいところであります。一方では高等教育が大きくこのような方向に动いているという抗しがたい流れがあり、しかし他方では大学は学问をする场であるという、これを捨てては大学ではないという核があるわけであります。専门职大学院のように知识と実践だけを与える教育ということになれば、下手をすると効率よく机能する道具としての人间を育てるということになりかねませんが、そんなことでよいのかという大きな疑问が出てくるわけであります。

  学問はあるべき姿を追求するという側面をもち、そこから当然のこととして現状とのギャップが認識され、それを批判するということが起こらざるをえません。すなわち学問をする者にとって、現状に対する疑問を呈し、なぜそのようなことが起っているかを探求し、これを批判するという、批判精神を抜きに学問研究ということはありえないでしょう。これは人文社会科学だけでなく自然科学の世界のおいても言えることであります。

  ところが今日の学問の状況はどんどんと技術的内容の方に傾いて行き、知識の製造と伝達、利用ということにしか目が向かないという傾向が色濃く出て来ているのであります。これでは大学の重要な機能の一つを放棄することになり、大学にとってはもちろんのこと、社会にとっても長い目で見たときに大きな損失となるということを認識しなければなりません。21世紀の学問、21世紀の大学がこの健全な批判精神をどこまで取り戻せるかという大きな課題を背負っているのであります。

 原理原则の尊重ということがややもすると軽く见られがちな日本社会において、社会の期待と要请に适切に応えてゆきながら、学问?研究の本质を再认识し、将来の日本を背负って立つ若人にしっかりした考え方を持たせるべく教育をしてゆくために、具体的にどうすればよいかは悩ましい问题であります。京都大学においても时代の変化とともに価値観の転换が必要でありますが、清浊併せ呑みながら一段高い立场に立って教育をし、学问研究を行い、将来の社会に対して贡献してゆくつもりであります。

 今日、博士の学位を得られた皆さんには、これからも研究を続けてゆく人、社会に出てゆく人など、いろいろな方がおられますが、京都大学で学问研究をし、京都大学博士の学位を得られました以上、学问に必然的に伴う批判精神というものを忘れずに、矛盾に満ちた社会の中で正しく生き、社会に贡献していってくださることを期待し、お祝いの言叶と致します。