平成15年3月24日
ただ今修士の学位を得て京都大学を出てゆかれる2,038名の皆さん、おめでとうございます。ご列席の名誉教授の诸先生、副学长、各研究科长、その他教职员の方々とともに、皆さんの修士课程修了を心からお庆びいたします。
さて皆さんの修士课程二年间の学生生活はどのようなものだったのでしょうか。学部学生としての勉强の仕方と比べてどのような违いがあったのでしょうか。修士课程では皆さんは自分の研究テーマをはっきりと持ち、主体性を持った研究を行い、これを本格的な研究论文に仕上げたに违いありません。そこに学部における卒业论文の研究とは随分违うところがあったといってよいでしょう。そして研究とはどのような事であるかについての理解も深まったに违いありません。また当然のことながら、自分の研究テーマに関係した研究が世界のどこでどのように行われていて、自分の得た成果がその中でどのように位置づけられるかということがはっきりと见えているに违いありません。
研究テーマと研究の仕方を决めて研究を进めてゆくとき、皆さんには试行错误や迷いがあったでしょう。自分の期待する结果や结论に至る道だけを直线的に突き进んでゆくというのは、确かに効率のよい方法ではありますが、あまり感心しません。迷いによって物事を深く考えることになりますし、また研究の途中で何か大切なことを见失っていないかどうかという反省、さらにはゆったりとあちこちを眺め、廻り道をしながら进んで行くという余裕、研究における游びの心、なんでもない事のようでもなぜそうなのかという疑问を持つこと、といった好奇心?探究心を大切にしなければなりません。
昨年ノーベル化学赏をもらわれた田中耕一さんの研究はまさにそういった研究者の真面目な疑问と探究心から得られたものなのであります。英语では蝉别谤别苍诲颈辫颈迟测と言われていることでありますが、そのような幸运に恵まれるかどうかは研究者の常日顷の探究心によるわけであります。このようなことでなくても、研究の途中に得られる副产物、产测-辫谤辞诲耻肠迟と呼ばれるものが高く评価される场合がしばしばあります。自分にとっての目标からすればそれほど大した事ではないと思う事が、思わぬ形で製品につながって広がっていったり、副产物的な研究成果が他の人の研究にいろいろと役立ったりする场合であります。したがって研究というのは试行错误で廻り道をしながら、また楽しみながら进めてゆくことも必要なのであります。このような経験は、これから皆さんがどのような道を歩まれようとも役に立ち、大きな力になるでしょう。
皆さんは修士课程の研究を通じて自分で解决すべき课题を発见する能力も持ったはずであります。世の中には分からないこと、解决すべきことが山积していますが、これをどのような形で捉え、どのように课题设定すれば问题の本质が明らかになるか、そしてその问题を解决する道が発见できそうであるかということを考える力が养われたのであります。また同じような课题に谁か他の人が直面していないか、どのようにしてその课题が解决されたか、またされようとしているかといったことの调査能力も获得したでしょう。この能力も大切であります。世界中あちこちで类似の课题が持ち上がり、検讨されていて、ひょっとするともう解决されてしまっているかもしれないからであります。今日この调査は各种のデータベースを検索することでほとんどの场合十分でありますが、その课题に関係する机関を访问し、直接その问题を扱っている人に会い、意见交换をすることを通じて、どのような考え方でどのように具体的な课题解决の努力をしているかを知ることは大切であります。自分の気づかなかった考え方や课题といったことに気がつくことが多く、また将来やるべき事について大変参考になるからであります。
このような、皆さんの研究过程における様々のことは、皆さんが社会に出て行って実务の部门を担当する场合にも类似の形で出てくるのであります。その际、もっとも大きな违いは、解决に至る道が学问研究の场合よりもはるかに多岐にわたり、种々の条件や环境についての考え方が异なれば全く正反対の结论が得られることさえありうることであります。したがって、このような复雑な问题については、関係する人达と彻底的に议论をし、あらゆる可能性について吟味することが必要であります。このようなプロセスを踏むことによって、自分の全く気づかなかった考え方や事実が明らかになり、问题解决の道もはっきりするでしょう。そして相互理解が深まり、得られた结论を実行する际に皆の一致した大きな力が得られ、スムースに成功に导けることにもなるわけであります。
皆さんは社会に出て何年かすれば公司の课长や部长といった组织の长となったり、研究グループのリーダーとして活跃することになるでしょう。その时には自分が率いている组织の全てのことについて责任を负うことになるわけで、その覚悟をしなければなりません。现代の问题の一つは、この责任ということについての意识があいまいになり、リーダーとしての意志がはっきりせず、またグループ全体に明确に伝わらず、ややもするとグループの一体性が欠けるということであります。ではどうすればよいかという时に、组织の内部の人达に対してむやみに详细にわたって命令したり、强制したりするというのは决してよい方法ではありません。全体がうまくゆくためには、一定の方向へ向けての意识が全员に染み渡ることが大切ですが、全员がそれぞれの能力を十分に発挥できる余裕のある雰囲気を作り出すことの方がはるかに重要であります。そしてお互いに対等の立场で议论することが必要であります。仕事の遣り甲斐があって、努力すれば评価され感谢されるといった生き甲斐を感じさせる场を作ることであります。
こういった场は功利的な考え方から作り出せるものではなく、全ての人を自分と対等の人として、その人の考え方、立场を尊重し、その人の诚意に敬意を払いながらお互いに协力して目的に向かって努力するというところから自然に出てくるものなのであります。これは决して难しいことではなく、研究の世界では当然のことであり、人を人として尊敬し、正しいこと、より良いことを求めて努力する共通の仲间として対応するという実に単纯な基本的なことを実行することに尽きるのであります。これは职场においても、社会においても、また国と国との関係においても通じるべきことであると存じます。
现代という厳しい竞争社会において、他に负けない成果をあげるためには一致団结して顽张らねばなりませんが、それによって人々の健康が破壊されたり过度の労働が原因となって悲剧が起こるようでは、何のための労働であるかということになってしまいます。人々の持つべきゆとりと仕事の両立?バランスということは困难な课题でありますが、その解决には社会全体に他人の立场を尊重するという基本的な考え方を浸透させてゆくことが必要であります。皆さんはこれから社会に出て、それぞれの分野の専门家として仕事をしてゆくことになりますが、こういった人间同士の相互関係や生活の面にも目を向けられる成熟した人间となっていただきたく存じます。
皆さんの将来の大成を期待し、お祝いの言叶といたします。