平成13年6月18日 京都大学創立104周年記念式典式辞

平成13年6月18日

京都大学大学文书馆

 京都大学は本年104周年を迎えました。その間の歴史は日本の大学史の中心を占めるものでありました。それは、百周年記念事業の1つとして進められて来ました京都大学百年史全7巻に明確に刻みこまれております。7000頁におよぶこの京都大学百年史はその編集委員会と百年史編集史料室の約10年間にわたる努力によって第1巻が100周年を期に発刊され、その後順次刊行がつづき、近くようやく全7巻を完結することになりました。これを改めて通観しますと、京都大学の教育?研究に対するたゆまない努力、そのたどって来た道と、その結果としての現在の京都大学を深く理解することができます。この京都大学百年史は、しかしながら単に京都大学の歴史というだけでなく、冒頭に申しましたように、これを通して日本の大学の歴史がたどれるといっても過言ではなく、そういった意味でも、この京都大学百年史全7巻はこれまでの他大学の大学史とは明確に区別されるものであり、日本の大学史という学問分野において重要な意味をもつものとなっております。このような実績の上に、本年4月に学内措置ではありますが、全国的にもユニークな京都大学大学文书馆が作られ、これまでの10年間の百年史編集のために収集されたぼう大な資料を基礎として、日本の大学史の研究が本格的に行われることになりましたことは大変有意義であり喜ばしいことと存じます。

 

教育の改革

 さて皆様もご存知の通り、今日の大学は大きな転换点に立っております。大学というシステムはほぼ50年ごとに大きな変革にさらされて来たと言う人がいますが、日本の大学についてもこれが当てはまるようであります。明治时代にドイツ型の大学でスタートした我が国の大学は、ほぼ50年后の第2次大戦の败戦によってアメリカ型の大学に変革されました。こういった事がどのようにして行われたかは上记の京都大学百年史からも伺い知ることができます。そしてその后约50年を経た今日、再び大きな変革の时に差しかかっているのであります。

 その根本的な原因の第一は、大学への进学率が18才人口の10数%以下であった时代から、今日短大も含めて约50%进学の时代、つまり高等教育が完全に大众化したという时代に来ているという事実があります。それにもかかわらず、多くの大学は昔とあまり変わらない考え方で教育をしていて、平均的な多くの学生の要求との间に大きなミスマッチが生じているというわけであります。京都大学のように、秀れた人材を育成する大学には、そういった平均的な议论は适用できないでしょうが、3,40年前とくらべると今日の入学者数は2倍以上になっている事実があり、これをどのように见るかということが我々にとっての大きな问题であります。

 今日、初等中等教育はもちろんのこと、高等教育においても、学生がまじめに勉強せず、教育の質が落ちているといわれ、大学卒业生であれば当然もっているべき基本的知識すら持たない学生が多いと、企業などから非難されています。京都大学においても、学生の力は以前にくらべ低下していると指摘され、特に教養教育の改善について検討が行われていますが、理想とはほど遠いというのが実態であると存じます。我々は学生の教育について種々の新しい観点を導入して、その改善に勤めねばならないと存じます。

 

経済产业界からの要请

 もう1つの问题は、国民経済が様々の困难に直面した结果、税金を投入して运営されている国立大学が社会に対して十分な贡献をしていないではないかという非难にも似た声が出て来たことであります。我々は立派な学生を育成し、また多くの学问的成果をあげ、大いに社会に対して贡献しているという自负をもっておりますが、特に経済产业界は今日の难しい状况から、大学に対して短兵急な要求をしているものと推定されます。こういった要求に対して适切に応える努力をすべきことは当然でしょうが、大学の本来的な使命の1つである学问の継承発展、新しい知的创造ということを第1に置くべきことに変わりはなく、その间のバランスをどのようにとってゆくかがこれからの我々にとって重要なところと考えます。产学连携、产学协力という言叶が叫ばれておりますが、京都大学はあくまでも研究において世界の第一线を确保することを第一に考えるべきであり、产学协力も、その中から新しい学问的本质、基本的问题を摘出し、これを解决しながら、学问の进展に贡献するところにつながって行くべきものでありましょう。

 

国立大学法人化の検讨状况

 さて、このような社会の声を背景にして、国立大学の法人化の検讨が进行しております。そのスタートはたしかに行政改革の1つである国家公务员定员削减に関连したものでありましたが、现时点ではむしろ、どのような组织构造に変革すれば国立大学の真の活性化につながってゆくかという観点からの议论になっていることを我々は十分に认识する必要があるでしょう。これまでの50年间の、いわば大量の大学卒业者を生产するという时代、あるいは欧米の研究にキャッチアップするという时代を経て、今后50年の我国の秀れた高等教育?研究を実现するための大学の构造改革が今日我々が直面している课题なのであります。

 その主要な论点は、大学が现在よりもはるかに大きい自主性?自律性を持ち、それぞれの大学の理念にしたがった个性的な大学となり、お互いに切磋琢磨することによって21世纪社会のためのより良い教育研究を実现させてゆくこと、またそのためには、学问のための学问をとなえ结果的に孤立した闭锁的な大学となる危険性をさけ、社会の声を闻き柔软に社会の期待に応えてゆける组织构造の大学を作る必要があるという観点であります。

 99校からなる国立大学协会は、この问题について昨年の春から设置形态検讨特别委员会をもうけ、このような観点をふまえて鋭意検讨を重ねて来まして、最近そのまとめを行い、自主性、自律性をもった法人としてのありうる枠组を国立大学协会総会に报告し、了承されました。国立99大学はその目的や规模、歴史など、いろんな面で多様であり、これら全てに妥当する枠组を提案することは至难の业であります。またその多様性を保持し个性の辉く大学にしてゆくためには、枠组の详细はそれぞれの大学において异なるのは当然でありましょう。したがって国立大学协会设置形态検讨特别委员会がまとめた报告书はあくまでも、各大学の特性が発挥できるための大枠であり、详细は各大学が考えねばなりません。これからの法人化の法案作成作业において、文部科学省がこの报告书の内容を十分に尊重することを要请いたしますが、厳しい政治的环境の下でどこまで我々の考えていることを実现できるかは予断を许しません。しかし大学の使命は、学术文化の伝承発展と新しい知の创造という活动を通じて、人材の育成をし、また社会、経済产业界等に贡献してゆくべきものであり、これが十分可能となる大学改革の枠组でなければなりません。

 

京都大学の自覚

 一方、京都大学の我々においても、どのような组织构造のもとであれば、京都大学が今日よりもより自律性を确保し、教育研究の実を高めることが出来るかを検讨しなければなりません。その际、自主?自律を确保するということは、财政をも含め自己责任をしっかり担うという决心をすることでもあるということをよく认识し、その覚悟をしなければならないことは言うまでもありません。単に高等教育?研究に予算を増やすべきであるという形で国に甘え、寄りかかるということなく、独自性を贯いてよりよく活动してゆくということは容易なことではなく、厳しい自己规正、自己努力を必要とすることを我々全てが深く认识する必要があるのであります。こういったこともまた、京都大学のこれまでの百年を振り返ってみれば当然のこととして理解されるでしょう。これからは、いよいよ大学间の竞争の时代に入ってゆきます。京都大学といえども油断はできません。日本国内だけでなく、世界的に教育?研究の両面において魅力のある大学となるべく努力をする必要があります。

 法人化の问题は、我々に厳しい覚悟と努力を要请しますが、しかし法人化によってより良い教育研究の実现できる大学にすることがそもそもの目的であり、またそうならねば法人化は意味がないのであります。立法行政当局もそのことは当然认识しているはずであります。もしそうでないとするならば、これは我が国の将来を担う中枢となるべき高等教育机関を杀してしまうことになり、日本の将来に対する自杀行為といわねばなりません。そういった意味で、我々と立法行政当局、経済产业界、社会全体との间の不信感をなくし、信頼を回復する努力が大切なのであります。

 以上いろいろと申し述べましたが、京都大学の场合、どのような形の法人化となっても、教育研究を担う我々が、京都大学の理念をより良く実现すべくお互いに协力し努力してゆくならば、京都大学の存在価値がさらに高まり、日本の教育研究の発展に贡献することに繋がるものと存じますし、世界にその存在をよく认识される大学になってゆくことは间违いないと存じます。これからこそ京都大学の持っている真の力を十分に発挥できる时が来ると考え、既成の概念や枠组を打破して进んでゆくべき时が来たというべきでしょう。そうすることによって京都大学の百余年の歴史にまた新しい意义のある歴史を刻むことができることになるでしょう。

 创立104周年という记念すべき日に、本学の全构成员が新たなる覚悟をし、全学が协力して进んでゆきたいと存じます。よろしくお愿い致します。