平成13年1月23日 博士学位授与式式辞

博士学位授与式祝辞

2001年1月23日

 新世纪の最初の学位授与式に博士の学位を受けられた课程博士67名、论文博士83名の皆さん、まことにおめでとうございます。

 皆さんそれぞれに长年の研究を完成させたという満足感を味わっておられることと存じます。しかし、それとともに何かぽっかりとあいた穴、真空に漂っているとでも言うべき感覚も味わっておられるのではないでしょうか。これまで目标としていたことは终わった、しかし次に何をしようかという目标を考えるまでには至っていないという静かな沉黙の时间、奇妙なしじまに身をゆだねておられるのではないでしょうか。何年もかけて心血をそそいで研究した事も、楽しかった事、苦しかった事など、いろいろとあった事も、博士论文とともに远い昔の出来事のように、1つの点景として纳まる所に纳まり、现在の皆さんは全ての束缚から解き放たれ、自由になった我が身ひとつという感覚であるかもしれません。

 この不思议なしじまは、しかしきっとしばらくすれば、また冲から潮が満ちてくる浜辺のように、徐々に全身に満ちてくる新しいアイディアとエネルギーによって皆さんをまた新しい研究や仕事に駆り立てる时につながってゆくに违いありません。ですから、このしじまを深く味わいながら、静かに潮が満ちてくるのを待って下さい。

 なぜかといった理屈はこねないでおきましょう。じっと待つことが大切です。そして体いっぱいに潮がみちあふれた时、自然に自分が动き出します。その时こそ真に独创的なことが出来る时なのです。しかし、その时が何时くるかは分りません。その时を待つのはつらい事かもしれません。多くの无駄な试みをした后にそれが来ることもあるでしょう。いずれにしても我慢が肝心であります。

 今日の日本は、この世纪の変わり目をはさむ10年あまりの间、いわば现在の皆さんのように、ある种のことを达成し、その次に何を目标に定めて进むべきかを探しあぐねている时といった状况にあるのではないでしょうか。明治维新以来今日まで、日本は西欧に追いつけ追い越せの努力をし続けて来ました。科学技术のみならず社会活动の全般にわたって、进歩の概念を信じて进んで来たわけであります。

 今年の元旦の新闻の多くも、科学技术の未来は明るく、考えられることはほとんど何でも実现できるであろうといった未来予测も书いておりました。たしかにそうでしょう。科学技术はまだまだ発展してゆきます。そしてその最先端には常にアメリカがいるのであります。しかし社会がいつまでもそれを歓迎し受け入れてゆくかどうかが问题であります。また我々は地球という有限な世界に住んでいて、宇宙に出てゆくという外向き方向よりも、地球环境问题、エネルギー?食粮问题といった深刻な问题を早急に解决することが紧急の课题であり、また生命科学も厳しい伦理问题をかかえつつあるということが明白となっているのであります。

 こういった事を考えると、21世纪の最初の10年くらいはともかくとして、それ以后においても进歩発展という単线的な、あるいはアメリカ的な価値観が続いてゆくということには大きな疑问があります。现在のアメリカに充満している楽天的なチャレンジ精神と金もうけ主义が世界全体をどのような所に追い込んでゆくのか、といった批判的な考え方も必要となるでしょう。现にそういう见方が出て来つつあるのであります。

 グローバル化はこれからの世界の必然であるとか、滨罢戦略を急速に进めないと世界から取り残されるといった事が言われ、アメリカ化を推进したり、アメリカに负けないように顽张る必要があるといったことが叫ばれています。毎日の新闻には、米国はこのような事までしている、日本は遅れている、はやく体质改善しないと负けてしまう、科学技术の竞争でも遅れを取っているから日本の大学にもっと竞争原理を导入しなければならない、等々の记事があふれ、人々の竞争心をあおっております。

 しかし人类はこのような形で竞争ばかりしていてよいのでしょうか。アメリカが竞争を仕かけてくるから、これに対抗しなければ负けてしまうということはあるかもしれません。しかしそのような形で竞争をしている间に资源は食いつくされ、地球は荒れはててしまうという事実があるのです。现在米国が仕かけて来ている経済金融、科学技术の竞争、あるいは胜负に、日本は胜とうとでも思っているのでしょうか。

 胜てない、あるいは胜负の场に出ないということは、日本あるいは日本人として认めたくない、言いたくないということはあるでしょう。しかしそこは冷静に考えねばならないのではないでしょうか。太平洋戦争は客観的に见れば胜てないのが分っているのに开戦し、决定的に打ちまかされた胜负ではなかったのでしょうか。负けることを认めるのがいやであれば、米国が気づいていない分野、米国が出来そうにない分野で日本のため世界のためになる分野を开拓し、そこを伸ばし、そこで日本が世界をリードすべきではないでしょうか。现在の米国のやっていることは长い目で见て决して人类世界全体のために役立つものではありません。日本は日本らしい考え方で着実に进んでゆくことが大切でありましょう。

 世界のパワーポリティックスはそのような甘いものではない、えせ平和主义者ではこの世界を生き抜いてゆくことは出来ないということは事実でしょう。そういった危険性に対する対処はもちろん十分にしなければなりません。アメリカが强力に押し进めている経済技术、科学技术は日本ももちろん十分やらねばなりません。しかしそのことだけに右往左往していては何时までたってもだめなのであります。

 そういったことをしながらも、我々は我々の価値観を大切にし、我々の社会を心豊かに楽しく住めるものとするべく努力することが大切であります。こういった考え方が我々日本人の活动の中心に位置づけられ、また世界に认识されるよう努力をしなければなりません。现在の日本にこのような考え方が欠けているところに最も大きな问题があると言うことができるでしょう。これはけっして独善的なナショナリズムを主张しているのではありません。

 现在の日本は、とにかくある种の目的は达成したが、次が何か分らない、といった状况にある中で、静かに深く考えることをせず、ほんとうに目ざすべき目的も持たずに、焦って米国に追いつこうとしたり、いたづらに竞争心をあおったりしていてよいのでしょうか。こういう时にこそ、目先のことに惑わされず、深く沉潜し、静かに物事を考えることが必要でしょう。慌ててはなりません。慌てずに我々のエネルギーが再び満ちて来るのを待つことが大切です。

 そして米国やその他の国の行き方に惑わされず、我が国がその文化伝统から、地政学上から、我々の得意とする科学技术の分野から、また人的?资源的実力から、何をするのが日本の社会が今后百年の间、健全に安全に生活してゆけるかということを考えることでしょう。

 日本ほど世界中のことを详しく知り、他国に関心をもっている国はおそらくないでしょう。それにもかかわらず、なぜ日本は常に不安を感じ、世界にしっかりとした位置を占めることが出来ないでいるのでしょうか。それは自分というものを确立していないからだと思います。

 世の中は多様性の时代に入りつつあります。多様な価値観があり、多様な世界?多様な文化があって、はじめて世界が健全に存在してゆくのだということを多くの人达が少しづつ気づき始めています。日本は、焦って胜てもしない竞争に巻きこまれず、自分をしっかりと确立することによって、他国の追従できない分野を発展させ、日本と日本人の心を豊かにし、结果として世界にその存在を认识させることになるということが大切なのではないでしょうか。21世纪は20世纪の価値観で进んで行けないことは确かであります。価値観は大きく転换してゆくでしょう。そして复线化、多様化して行くに违いありません。

 以上述べましたことは社会一般のことだけでなく、学问や研究においても言えることであります。アメリカ型の研究だけでなく、日本的な価値観、考え方、方法による研究を追求することが、これから特に大切になると存じます。これは人文社会系の学问研究だけでなく、自然科学、工学などの研究においても言えることであります。分析的な研究の时代がほぼ终わり、総合的な视点を中心とした生成的な研究に移って行きつつある今日、日本的なアプローチ(これがどういうものであるかも考えていただきたいのでありますが)の持つ価値は増大してゆくことと存じます。

 今日、博士の学位を得られた皆さんも、新しい世纪に自分の持つべき価値観は何かを考え、それを明确にするとともに、それを大切にした生き方をして行っていただきたく存じます。そういった形で皆さんが新しい出発をされることを切に希望いたします。