平成11年3月23日 修士学位授与式

修士学位授与式における総长のことば  

平成11年3月23日
総長 長尾 真

 ただ今修士の学位を得られた1,814名の皆さん、おめでとうございます。ご列席の名誉教授及び教职员の皆様方とともに、心よりお庆びを申し上げます。诸君は修士课程の2年间において、ほんとうの意味で物事を自分で考え、自分で自分の设定した课题に対して挑戦し、それを解决したという贵重な体験をしたわけであります。この2年间の研究を通じて诸君は物の见方、考え方ということについて十分に训练されたのではないかと思います。

 诸君が出て行く社会は现在混迷に陥っていて、将来は不透明であります。こういった时にこそ诸君が修士课程を通じて培った物の见方、考え方が大切となるのであります。

  物の見方は何重にも積み重なった重層性をなしていると考えられます。一つは、事実を知ることであります。これは当然のことでありますが、事実をできるだけ詳細に正しい情報として得ることが大切であります。

  二つ目は、この事実の意味を知るということであります。どう解釈したらよいかということであります。自然科学の場合にはどういう法則によってこれが解釈できるかということになるでしょう。人文社会科学の場合にははるかに複雑で困難であります。どういう立場から見るかは人によって全く異ることがしばしばであり、これはその人の人生観にも関係するでしょう。

 叁つ目は、それはその事実がどうして得られたか、どのチャンネルを通していつもたらされたかということであります。これによってその事実なるものがどういうものであるのかを评価されることになるからであります。自然科学の场合には、どういう条件で観测して得られたデータであるかといったことになるでしょう。一般社会における出来事の场合には、いつ谁によって知らされたかということが特に重要になります。そういった事をよく吟味して、もう一度事実を知ることにもどって、独自に事実の确认をしたり、新しい事実を探す努力をしなければならなくなるわけであります。

  そして最後として、そういった事実が出て来た背景、あるいは時代状況というものを考えることが必要でありましょう。例えば、今日日本経済はどん底にあり、消費の拡大が必要であるとして政府は地域振興券(期限付き商品券)なるものまで配る涙ぐましい努力をしております。たとえ消費の拡大が必要であるとしても、しかし高齢化社会、地球環境問題や食糧問題、エネルギー問題などが解決の困難な問題として横たわっていることが明らかな今日、そういった事を十分に視野に入れた上での経済活動、消費構造、生活様式ということを考えねばならないのであります。その例としてデンマークを上げることが出来ます。

 国民経済の成长は必然的にエネルギー消费の増加をもたらす、という神话に立ち向かい、エネルギ-消费の総量を増やすことなく17年间に骋顿笔(国内総生产)を1.4倍に成长させました。第一次石油危机に直撃されたエネルギー弱小国デンマークはそれを机にエネルギー自给圏の形成に向けて国民运动を起こし、风力発电をはじめとし、太阳光、太阳热、バイオマスに至るあらゆる再生可能エネルギーを追求し、化石燃料にも原子力にもよらずにエネルギー自给率の高度化を実现し、新しいエネルギー产业を兴し、このような成果を上げたのであります(内桥克人、「実の技术?虚の技术」岩波书店、1999)。こういった、足が地についた技术とその価値、それによる社会の健実な発展といった考え方は我国においても非常に重要であり、根気よく世论形成をしてゆく必要があるわけであります。

 世界规模での炽烈な竞争の时代に突入したということは事実でありましょう。だからといって目先の危机感と竞争意识だけでは问题は解决せず、将来の调和ある発展を考えたプランを作るとともに、これを世界に诉えてゆく必要があるわけであります。1997年の秋に京都で行われた地球温暖化防止京都会议(颁翱笔3)における二酸化炭素排出量の総量规制の取り决めはその一つの例であります。こういったことを実现してゆくためには、技术的にも社会的にもまた政治的にも相互関係性を密にしながら、お互いに协力しなければなりません。

 いずれにしても、物事の解釈と判断の背后には、何が正しいことであるかについての鋭い感覚の存在が必要であり、行动においては何が善であるかについての分别がなければなりません。

 日本は今日世界第二の経済大国であると言われておりますが、国际社会においてまだまだ一人前であるとは思われません。それは人格に対応する国の人格、国の品格において、日本はまだ自分の立场というものをしっかりと持ち、世界各国に尊敬されながらお互いに対等に话し合ってゆくだけの见识をもっていないということであります。あまりにも経済的なことだけで、しかも近视眼的であって、世界各国が自国の福祉と発展のために独自の立场から秘术を尽くしている中で、あまりにも単纯で考えのない事ばかりをやっているとしか见られていないようにも思われます。

 今日修士课程を修了した皆さんは、将来の日本の中心となって活跃される人达であります。诸君はここに述べて来ましたようなことをよく考え、自分の考え方を明确にし、适切に発言し行动してゆくことによって日本の社会をよくし、国际的にも尊敬をかちえる国にしてゆくことが期待されているのであります。

 欧米人は自分の考えたことを话しますが、日本人は非常に多く、人から闻いたこと、自分の知っていることを得意になって话します。しかしこれからの国际社会において、はっきりした存在感を与え、尊敬される人や国となるためには、我々は自分の立场、日本の立场というものをふまえて、よく考え、客観的にも妥当であるという自分の考え方を持ち、これを説得力のある明确な言叶で述べることが必要であります。

 诸君はこういったこと、即ち、物の见方、考え方、そしてその表明の仕方ということを、特に修士课程の2年间で训练してきたことと思います。今后は未知の事に出会い、何らかの决断をしなければならないということの连続となるでしょうが、诸君の学识と考える力とによって、これが正しく行われないはずはありません。困难にぶつかり、迷いが深まれば深まるほど、学问の根本にもどってよく考えることであり、诸君の京都大学での学问?研究の経験がこれをしっかりと支えるのであります。

 21世纪という新しい无限の可能性を秘めた时代における诸君の活跃を期待し、これをもって诸君の门出に対するはなむけの言叶といたします。