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1945(昭和20)年、原子爆弾が投下された広岛で被爆者调査、诊疗に当たっていた「京都大学原爆灾害综合研究调査班」は、同年9月17日に西日本を袭った枕崎台风による土石流の被害に遭いました。その犠牲となった方々を慰霊する集いを、広岛県廿日市市宫浜温泉(旧大野町)の慰霊碑前にて行いました。
調査班は、原爆投下直後に軍の依頼を受けて医学部と理学部を中心とした教員、学生、看護婦らで結成され、9月3日からは大野村(現廿日市市)にある大野陸軍病院を拠点に原子病患者の治療および病理学的研究調査が、約50名になった調査班員により進められましたが、折しも「枕崎台風」と呼ばれる大型台風による大規模な土石流の被害に遭い、班員11名を含む156名が死亡しました。 慰霊は、例年被害のあった9月17日の直近の土曜日に自由参拝で行われていますが、2015年は5年に1度の式典開催の年にあたり、遺族をはじめ関係者を含む、約70名が参列しました。
式典では、犠牲者への黙祷の後、山極壽一 総長、上本伸二 医学研究科長、森脇淳 理学研究科長、木村徹 芝蘭会広島支部長、眞野勝弘 廿日市市長が追悼の言葉を述べ、その後に、遺族代表として眞下芳夫 氏が言葉を述べました。山極総長、眞野市長をはじめ参列者全員が献花を行いました。式典の最後には、山極総長から本慰霊の集いに対し永年ご尽力いただいている廿日市市長、廿日市市議会議長、廿日市市大野支所長へ感謝の意をこめて感謝状が進呈されました。 式典後には近隣のホテルにて懇談会が行われました。
左から、山极総长、上本研究科长、森脇研究科长
左から、木村支部长、眞野市长、眞下氏
慰霊碑への献花の様子
黙祷の様子