医学部附属病院 呼吸器外科において世界初の生体肺移植术式を実施しました。(2014年5月14日)

公开日


左から伊達教授、陳豊史 医学研究科講師

医学部附属病院では、呼吸器外科が中心となって、これまでに世界でも実施例のない新しい生体肺移植术を実施し、成功しました。

概略

手术日 平成26年3月上旬
レシピエント 40代女性(妻)
ドナー 40代男性(夫)
退院日 平成26年5月10日
术式 ドナーである夫の右下叶をレシピエントである妻の左肺として移植しました。

経过

患者は、関西在住の40代女性です。平成20年顷から咳や労作时呼吸困难があり、特発性间质性肺炎(原因不明で肺の线维化が进む病気)と诊断されました。平成25年暮れから呼吸状态が急速に悪化し、肺移植以外に救命方法はないと判断されました。大量の酸素吸入が必要で、ほとんどの时间をベッド上で过ごすようになり、脳死肺移植には间に合わないと考えられる状态でした。

ご本人およびご家族の希望から生体肺移植の実施を検讨し、医学的理由から肺が提供可能であったのは、ご家族の中でご主人だけでした。

术式の選択過程

通常の生体肺移植では、二人のドナー(肺の提供者)のそれぞれの右または左下叶(肺の下の部分)をレシピエント(患者)の右肺および左肺として両侧生体肺移植を行います。体格が小さい小児がレシピエントの场合にはドナー一人の下叶をレシピエントの同侧の片肺として移植するケースがしばしばありますが、レシピエントが大人の场合には、ドナーの下叶が相対的に小さくなってしまいます。

今回のドナーであるご主人の右下叶は、レシピエントである妻にとって正常な肺の45%の大きさであり、これは大きさとして许容しうる最低限のものでした。また、ご主人の左下叶は36%の大きさしかなかったため移植には使用できませんでした。さらに、レシピエントの右肺は左肺の2倍机能していることがわかりました。つまり、片肺を取り换えるのであれば、机能が悪い左肺を取り换え、机能している右肺を温存するべきであると考えました。そこで、ドナーであるご主人の右下叶を、妻の左肺として移植することを検讨しました。

夫の右下叶を妻の左肺として移植する际の问题点

夫の右下叶を妻の左肺として移植するためには、グラフト(夫の右下叶)をひっくり返す必要があります。つまり、もともとグラフトの前侧だった部分は、レシピエントの胸の中では背侧になります。また、グラフトをレシピエントに缝い付けるには気管支(空気の通り道)と、肺动脉(肺に入っていく血流)と肺静脉(肺から出てくる血流)の叁つをつなぐ必要があります。肺をひっくり返すと、この叁つの并び方が微妙にずれるため、うまく缝い付けられるかどうかが键となります。

3顿プリンターを使った模型での検讨

そこで、あらかじめドナーおよびレシピエントのCTを加工し、3Dプリンターを使ってドナーのグラフトとレシピエントの胸腔の模型を製作しました。製作には、國本桂史 名古屋市立大学芸術工学研究科教授、武田裕 同大学医学研究科心臓?腎高血圧内科学講師および松田秀一 医学部附属病院整形外科教授、竹本充 同特定助教のご協力をいただきました。その結果、グラフトの気管支をレシピエントの左上葉気管支(通常は左主気管支)、グラフトの肺静脈をレシピエントの左心耳(通常は左上肺静脈)につなぐことによって、うまく縫い付けることができることがわかりました。


3顿プリンターで作成した肺胸腔モデル(名古屋市立大学提供)

手术前の事前検讨の様子(名古屋市立大学提供)

3顿プリンターで作成した患者の左胸郭と夫の右下叶

移植手術と術後経过

移植手術は、2014年3月上旬に医学部附属病院呼吸器外科が中心となり、約20名のスタッフで実施しました。執刀は、伊達洋至 呼吸器外科長?教授が行い、グラフトの吻合も模型でのシミュレーションどおり順調に進み、手術時間は4時間30分でした。術後経过も順調で、2か月経过した現在では酸素吸入が不要となり、一日10000歩の歩行訓練が可能なまでに回復され、5月10日に退院されました。また、肺を提供されたご主人は既に仕事に復帰されています。

本手术の意义と発展性

今回の移植では、肺を回転させてもよく機能することが証明されました。右下葉は左下葉よりも20%程度大きいため、これまでレシピエントの体格が大きく(特に男性)、グラフトが相対的に小さすぎるために生体肺移植ができなかった患者の中に、本术式を使うことによって生体肺移植が可能となる患者がいると思われます。

患者からのコメント

「ありがとうございます。」という感謝の言葉しかありません。先生方がこの术式の可能性を追求してくださっていなければ、おそらく私は、今も人工呼吸器に繋がっていたか、もっと悪い結果になっていたと思います。昨年末に、ベッドサイドで先生が、「旦那さんの肺だけでなんとかできないか皆で考えています。」と、最後に言われた光景を今でも思い出します。先生方のその後の準備にかかった尽力は並大抵のものではなかったはずで、それを思うと本当に感謝の言葉しかありません。私は、新しい命をもらったと思っています。本当にありがとうございました。

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