令和3年度学部入学式 式辞(2021年4月7日)

第27代総長 湊 長博

湊総長

本日、京都大学に入学された2,942名のみなさん、入学まことにおめでとうございます。ご来賓の井村 裕夫 元総長、松本 紘 元総長、山極 壽一 前総長、ご列席の理事、関係部局長をはじめとする京都大学の教職員とともに、みなさんの入学を心よりお祝い申し上げます。同時に、これまでのみなさんのご努力に敬意を表しますとともに、みなさんを支えてこられましたご家族や関係者のみなさまにお祝い申し上げます。

昨年来、世界中が新型コロナウイルス感染症のパンデミックの惨祸に见舞われ、我が国でも多くの社会活动が制约されるという异常な事态が続きました。そのような困难な状况のなかでも、みなさんは必死にがんばって勉学に励み、今日晴れて入学式を迎えることになったわけであり、その喜びもひとしおだと思います。これにはもちろんみなさん自身のがんばりもあったと思いますが、みなさんの周りのご家族や先生方の强い支えや励ましの力も大きかったはずです。是非そのことも心に刻んでおいてください。昨年は、コロナ祸の最中で残念ながら入学式を断念せざるをえませんでしたが、今年は何とか入学式を执り行うことができ、みなさんに直接対面してお话しができることを、本当に喜ばしく思っています。

さて、これからみなさんは、京都大学の学生となります。本学を志望するにあたって、これまでみなさんは周りの人たち、高校の先生や先辈、あるいはホームページなどからの情报で、京都大学について様々なイメージをもってこられたでしょう。120年以上の歴史を持つ伝统ある大学、アジアで最も多くのノーベル赏やフィールズ赏受赏者を辈出している研究力を夸る大学、探検や冒険やフィールド活动が盛んな「おもろい大学」、反骨精神の强い野生的な大学、いろいろあるかもしれません。しかし多分、もっともよく耳にされたのは、「自由の学风」という言叶ではないでしょうか。确かに自由の学风は、様々な京都大学のイメージの基础にある伝统かもしれません。では、ここでいう自由とは一体何でしょうか。

16世纪のフランスに、エティエンヌ?ド?ラ?ボエシという早熟の思想家がいました。亲友のモンテーニュによれば、ボエシが古典的名着である『自発的隷従论』を书いたのは16歳から18歳、今のみなさんとほぼ同年代の顷と言われています。その中での自由についての考察で、こんな喩えを书いています。「自由とは、生き物の自然の本性であり、野生の马は调教しようとすると、轡(くつわ)に噛みつき抗うものだ。しかし轡を强制され続けると、やがて马は进んで轡をはめそれを楽しむようになる」と。つまり、自由は人の自然の本性であるが、しばしば周りの环境や惯习によって人は容易にそれを放弃してしまう、というわけです。私は、自由とは本来の自分というものを、周りの环境や惯习など様々な外的束缚から解放し発见することだと解釈しています。みなさんはこれまで、大学入学を大きな目标として顽张ってこられ、それはみなさんの人生の重要なプロセスであったと思います。しかし、大学入学を机会に、自らの自由な精神を、みなさんを取り巻いてきた常识や惯例から一度解き放ってみてもいいのではないでしょうか。そうしたらみなさんは、これまで自分でも気がつかなかったような思いがけない自分を発见することになるかもしれません。そのためには引き金が必要ですが、今日私からみなさんに、二つのことをお勧めしたいと思っています。

ひとつは、じっくりと本を読み込むことです。最近は情報化時代と言われ、インターネットには膨大な量の情報があふれています。時空を超えて、情報を手に入れるには非常に便利です。今日ではパソコンやタブレットで文字情報に触れるほうが多いかもしれません。しかし、読書とは単に情報にアクセスするためだけの手段ではありません。中村文則という若い芥川賞作家が、「本を読む姿は格好が良い」と言っています。これは恐らく、本を読む人とその本を書いた人との間に感情的な交流が起こって、それが読む人の姿からにじみ出てくるということを言っているのだろうと私は解釈しています。エンパシー、つまり共感の姿と言って良いかもしれません。これは小説や文学に限らず、科学論文の際にも大いにありうるということを、いずれみなさんも経験することになるでしょう。さて、その中村文則さんは、アパートで一人鬱々としていた大学1年生の時に、初めてドストエフスキーの『地下生活者の手記』という本を読んだそうで、恐らくあの時、僕の人生のおおまかな方向は決まってしまったのだと思う、と書いています。実は私も大学3年生のころに、フランク?マクファーレン?バーネット卿の書かれた“Cellular Immunology”、日本語では細胞性免疫というタイトルの本に出会いました。バーネット卿は、現代免疫学の理論を確立した先駆的免疫学者で、1960年にノーベル生理学?医学賞を受賞されています。英語の勉強も兼ねてこつこつと読み進めていきました。この本は、全13章からなる大著でかなり時間がかかりましたが、ついに最終章つまり第13章にたどり着くと、この章だけが異常に短いことに気がつきました。この章は、ガンと免疫についての考察でした。自分はガン免疫というものを信じているが、残念ながら今わかっていることはまだほとんど無く、書けることもあまりない、というのがその章の結論でした。その後もこの第13章の文章がずっと頭に残っており、結局は「ガンと免疫」というテーマが私の研究のライフワークになりました。

もうひとつお勧めしておきたいことは、なるべく早い时期に海外へ出てみることです。今やグローバル社会になり、みなさんの中には海外旅行の経験のある人もいるとは思いますが、たとえ短期间でも海外で実际に生活することは、これまでの常识や惯例から解放された自由の中で、自分を発见する大きなきっかけになるかもしれません。私自身、先ほどお话ししたバーネット卿の本との出会いの后、机会を得て卒业后间をおかずに渡米し、ニューヨークの研究室でガンと免疫についての研究を始めることになりました。20代后半の丸3年间、アメリカはもちろん世界各国から集まったほぼ同世代の若い研究者や大学院生たちと切磋琢磨する研究生活を送りました。これが私のその后の人生の道筋に决定的な役割を果たしたと思っています。异なる国の同じような兴味と志をもつ若者たちが、どれほど自分と同じであり、また、どれほど自分と违っているかということを日々感じたものです。当时の仲间とは、40年以上経った今でも交流が続いています。大学时代にバーネット卿の着书に出会い、それに触発された20代半ばでの渡米という二つのことがなければ、自分の人生は随分ちがうものになっていただろうと思います。みなさんにも、新しい大学生活の中で、人生にとっての大きな出会いがあることを希望しています。

京都大学からはこれまで、1949年の我が国初となる汤川秀树先生のノーベル物理学赏に始まり、计11名のノーベル赏受赏者が出ています。これはアジアの大学の中では最も多い数です。もちろんノーベル赏というのは、けっして研究の目的ではありません。それは学问の领域を问わず、これらの先辈たちが时代の流行や惯习にとわられることなく、纯粋に自由な発想から未开の领域を切り开いてこられた结果といえるでしょう。この自由な学风の下に、新しい学问の世界が开拓され、结果として人々の生活や福祉や健康にも资する成果が生みだされてきたわけです。これが京都大学の学问の伝统です。直近では、2018年に本庶佑先生がノーベル生理学?医学赏を受赏され、私も共同研究者としてストックホルムでの授赏式に参列してまいりました。その本庶先生は、こう言っておられます。「京都大学で私たちはいつもナンバーワンよりはオンリーワンを目指してきた。しかし真の理想は、オンリーワンとして自らが掘り当てた小さな泉の水が、やがて小川から大河となり、ついには滔々とした时代の流れを形成することだろう」と。みなさんも、今日からこの京都大学の一员です。是非みなさんにも、これまでの思考の习惯や社会の流行などから一度离れて、本当に自分の心が动かされる泉をその手で探し求めていただきたいと愿っています。それは、すぐには见つからないかもしれませんし、多くの试行错误が必要でしょう。しかし、そのような気持ちを持ち続けることが自由であるということであり、それが京都大学の「自由の学风」というものであろうと私は思っております。

诗人高村光太郎の『道程』という约100年前、大正3年に书かれた诗は、「僕の前に道はない。僕の后ろに道は出来る」という有名なフレーズで始まります。これからみなさんが自由な心で自ら切り开いて进んでいかれる后には、みなさん一人一人の歩いた道が必ずできるはずです。そのために京都大学は、できる限りの支援をさせていただきたいと考えています。

本日は、まことにおめでとうございます。