令和2年度大学院秋季入学式 式辞(2020年10月3日)

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第27代総長 湊 長博 

令和2年度大学院秋季入学式式辞

 本日、京都大学に入学した修士课程63名、博士(后期)课程105名、専门职学位课程6名の皆さん、入学おめでとうございます。教职员とともに、皆さんの入学を心からお庆び申し上げます。また、これまで皆さんを支えてこられたご家族や関係者の皆様に心よりお祝い申し上げます。

 さて、今日皆さんはさらに学问を究めるために、それぞれの学问分野へ新しい一歩を踏み出しました。京都大学には多様な学问分野の学部や大学院が设置されており、10の学部、18の研究科、13の附置研究所、17の教育研究施设が皆さんの学びを支えます。修士课程では讲义を受け、実习やフィールドワークを通して学部で培った基础知识?専门知识の上にさらに高度な知识や技术を习得し、研究者としての能力を磨くことが求められます。博士后期课程では论文を书くことが中心となり、そのためのデータの収集や分析、先行研究との比较検讨などが不可欠となります。さらに、现代社会の课题に答えるべく、実践的な知识や技术の习得を目指した5つの博士课程教育リーディングプログラム、2つの卓越大学院プログラムが走っています。

 今年度の大学院秋季入学式は、新型コロナ感染症によるパンデミックの影响、特に国外からの新入生の入国がままならないという状况の中で、オンラインでの配信も余仪なくされました。そのような状况におられる入学者の皆さんには直接にお会いしてお祝いの言叶を述べられないので非常に残念ですが、今日は飞别产动画を介して、お祝いのメッセージを送りたいと思います。

 今日から皆さんは、様々な学问领域で京都大学の大学院修士课程、博士(后期)课程および専门职学位课程における新しい研究生活への第一歩を踏み出されます。始めにまず、本学の歴史について简単に绍介しておきたいと思います。京都大学は1897年に、日本で2番目の帝国大学として创立されました。19世纪以前のヨーロッパにおける大学は専ら圣职者?法律家?医师など専门职を养成する机関であり、明治维新后の日本で创设された帝国大学の目的も、近代化政策の中で、各分野での実务的専门家の教育养成にありました。

 しかし、19世纪后半から始まる「第二次产业革命」の结果、社会における科学や技术の役割が急速に拡大してまいりました。それに伴い、民间のアカデミーに委ねられていた研究を大学の机能に组み入れるべきであるという机运が高まってきました。とくに新兴のドイツでは、ベルリン大学を中心に研究と教育を一体として考え、研究を通して教育するというスタイル、いわゆるフンボルト主义が生まれました。それは国家からの「学问の自由」を掲げ、研究者と学生が自主的な研究に基づき真理と知识の获得を目指す大学理念です。

 このような大学の构造転换の中で、2番目の帝国大学として创立された京都大学は、このドイツ型の研究大学モデルをいち早く选択していくことになりました。ちょうど同じ顷にアメリカでは、研究を中心とする大学として、ジョンスホプキンス大学やシカゴ大学が设立されたところであります。それ以来今日まで、京都大学では「自由の学风」の下で「研究を通して教育する」ことがモットーとされてきました。本学は我が国最初の研究型大学として出発したということができると思います。

 さて、元来研究とは、个人の好奇心や未知への探究心を动机としたものです。しかし、科学やその応用としての技术が人间生活に及ぼす影响が大きくなるに従って、また科学と技术が一体化した科学技术と认识されることによって、その社会における役割は急速に大きくかつ多様になってきました。

 皆さんは最近よく「基礎科学」と「応用科学」という言葉を聞かれると思います。昨今では、公的な研究支援も、「基礎科学」と「応用科学」にどのようなバランスで行われるべきか、といったコンテキストで議論されることが多いと思います。そもそもこの区分けは、1945年当時、アメリカの科学政策を指導していた大統領科学顧問ヴァネヴァー?ブッシュVannevar Bushが、トルーマン大統領に宛てた「科学―この終わりなきフロンティア」(Science-The Endless Frontier)というレポートで初めて示したものです。この中で彼は科学を、研究(リサーチ)に専念する基礎的な科学と製品開発(ディベロップメント)への応用のための科学に区別し、大学は基礎研究に専念するためのものであり公的資金が投入されるべきであるが、応用研究に携わる企業には公的資金は投入すべきでないと明確に述べています。

 昨今の我が国での产学连携の议论から见ると少し意外に思われるかも知れませんが、この考え方は実际に冷戦下のアメリカの科学技术政策にも强く反映されております。これが、戦后アメリカが质量ともに世界の科学と技术の発展を牵引してきた基础にあると思われます。もちろんこのような基础と応用という単纯な2分割は、今日ではあまり现実的ではありません。纯粋な探究心に基づく基础研究の成果が、ほとんど间をおかずに画期的な応用研究へと展开する场合も决して珍しくありません。私自身も免疫研究のフロンティアでそのような経験をしてきました。これから皆さんには、このような基础科学と応用科学、あるいは自然科学と人文社会科学という狭い领域にとらわれず、自由で复眼的视野をもって研究を进めていかれることを期待しています。

 科学あるいは科学者と社会とのつながりについて、もう少しだけ考えてみたいと思います。现代社会は、文字通り地球规模での困难で紧急度の高い数々の问题に直面しています。地球の気候変动や环境破壊、大规模な自然灾害や原子炉の処理、世界的な感染症の拡大などは、人类の社会経済活动の急速なグローバル化により顕在化してきたものと考えられます。

 今まさに世界を席巻している新型コロナウイルスのパンデミックも、その一つでしょう。昨年末に中国の一都市に発生した新型コロナウイルスはまたたく间に世界中に拡大し、すでに全世界で3000万人以上が感染し、死者も100万人を超えるに至っています。発生当初から世界中の研究者が、诊断法、治疗法、ワクチン开発、临床研究をはじめ様々な専门性に基づいて研究を展开し、この感染症についての多くの科学的事実が比较的短时间に急速に蓄积されてきています。これらの研究成果が、このパンデミックの克服に大きな贡献をもたらしうることは间违いないでしょう。

 しかし、これらの科学的成果が直ちに、パンデミックに対する対応策の决定に速やかな统一的指针を与えうるかというと、そう楽観できるわけではありません。この感染症は世界中の人々をほぼ同等に袭ってはいますが、その対応は、地域の歴史、文化、宗教、経済体制や生活様式などにより非常に异なってきています。科学データに基づいた防疫対策モデルであっても、それが有効性を発挥できるかどうかは社会システムや人々の意识にも规定されています。その点においては、社会科学や人文科学の学知が活用されなければなりません。

 こうした状況は科学の成果が今後さらに大きく進展してもおそらく変わらないものだと思われます。1990年代に、オックスフォード大学の科学哲学者ジェローム?ラベッツJerome Ravetzは、「科学によって問うことはできるが、まだ科学によって答えることのできない領域」が存在することを指摘し、これをポスト?ノーマルサイエンス と表現しています。ここでノーマルサイエンスとは、今私達が考える通常の科学を指しており、原因―結果が明確なこの領域では、科学や技術は人間生活や社会活動における意志決定に直接的な役割を果たしています。他方、ポスト?ノーマルサイエンス領域とは、事象が極めて複雑で不確実性が高く、かつ意志決定に非常に多くの利害(Stakes)が関与する領域です。この不確実性は、ビッグデータと超高速演算を基礎にするAIによって必ずしも解決されるものではないとラベッツは述べております。だからこそ、彼はポスト?ノーマル?サイエンスを「安全と健康と環境と倫理の科学」The sciences of safety, health and environment, plus ethicsと呼んでいるわけです。

 今回のパンデミックはまさにこのポスト?ノーマルサイエンスの领域にあり、极めて复雑で重要な社会的课题に対する対応や意志决定に、人文科学や社会科学までふくめて科学が全体としてどこまで関与できるか、またどのような形で関与すべきかについて考える、重要な机会になると考えます。

 少し固苦しい话しになりましたが、最初に言いましたように、研究とは、あくまで个人の好奇心や未知への探究心を动机としたものであり、従って元来それは楽しいものです。私自身、40年以上研究の世界で过ごし、心ゆくまで研究を楽しんできました。他方で皆さんは、科学はどこまで、そしてどのような形で重要な社会的意志决定に関与しうるかを考えねばならないという新しい时代に向けて、これから研究生活を始められることになります。このようなことを头の隅におきながら、皆さんがこれからこの京都大学で、思う存分研究生活の日々を楽しんでいただくことを心から祈念して、私からの挨拶にかえたいと思います。

 本日は、まことにおめでとうございます。

令和2年度大学院秋季入学式

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